柔道=オザスコ顕真会が60周年=始まりは畑の一画、青空道場=記念大会515人が出場

顕真道場60周年記念大会開会式での選手宣誓の様子

顕真道場60周年記念大会開会式での選手宣誓の様子

 オザスコ顕真道場(福島ユーゴ会長)は8月20日、道場創立60周年記念大会をオザスコ市営体育館で開催し、近郊の柔道クラブ32団体、515人が参加した。道場創立者の故・柴山助次さん(山形、1921~99年)が1957年に所有の畑の一画を利用して道場を始めた時には、生徒数はわずか4人だけだった。市内に2階建ての道場を構えるほどになった今では、門下生も200人を超えている。

柴山助次さん

柴山助次さん

 「あの頃からはとても考えられないね」。試合会場で大勢の柔道少年らに温かい眼差しを向けるのは横手将兼さん(80、二世)。道場創立時の生徒の一人で、長年道場運営に携わってきた。
 立ち上げ当初の道場には、建物はおろか畳すらなかった。柴山さんの畑の一画におが屑を撒いて地面を柔らかくし、ビニール布を敷いて稽古場にした。稽古は火・木・日曜日の週3日。平日は各自の仕事が終わってからの夜稽古となる。電気も通っていないので、カンテラに照らされながら技を磨いた。
 柴山さんは16歳で日本柔道の名門・講道館に入門。住み込み稽古の中、『柔道の父・嘉納治五郎』や『柔道の神様・三船久蔵』から教えを受けた。21歳で単独渡伯し、農業を営むようになるも、柔道に対する思いは深まるばかりで、37歳の時、一念発起して道場を始めた。
 柴山さんの熱心な指導は次第に評判となり生徒数も増加。道場生が40人ほどになった65年には、オザスコ駅近くの貸し倉庫を稽古場とし、道場生が100人を超えるようになった80年には寄付を募って現在の会館を建設した。
 『柔道の父・嘉納治五郎』から譲り受けた「共同共存、自他共栄」の精神を出発点とする顕真道場では、講師に報酬は払わない。柴山さんからして無報酬だった。顕真道場の月謝は50レアルだが、会館の補修や維持費にのみ使われている。
 「正義・尊敬・謙譲・勤勉・感謝」を道場訓に掲げる顕真道場は、地域教育に対する貢献度も高い。この日、市の代表として来賓したデウビオ・テルエウ体育局長も元道場生だ。顕真道場は、市と連携して市内の学校へ柔道指導も行っている。挨拶に立ったデウビオ局長は「私も道場で多くのことを学んだ。地域への貢献に対して市を代表してお礼を述べたい」と語った。

「顕真道場設立の意義」柴山助次さん晩年の書

「顕真道場設立の意義」柴山助次さん晩年の書

 参加者の中には2016年のブラジル選手権幼年の部で優勝したギリェルメ・カストロ・オリベイラくん(12)がいた。ギリェルメくんは、自分の小さな体にコンプレックスがあり、大きな相手でも投げ飛ばせる点に惹かれて柔道を始めた。柔道をしていて良かったことを尋ねると「礼儀正しさを学ぶことが出来たこと」と笑顔だ。
 柴山さんは晩年、静脈瘤が原因で足が動かなくなっても稽古場に姿を現し、亡くなる直前まで指導を続けた。柴山さんの柔道に掛ける情熱を見てきた門下生らがその精神を受け継ぎ、熱心に指導してきたからこそギリェルメくんの様な心技体の揃った少年も育った。
 60周年の節目を迎え、福島会長は「今後も柴山先生の教えを守り、多くの人に柔道の技と精神を伝えていきたい」と語った。