《ブラジル・サッカー》カカーの初の特集記事から20年=本人が15歳だった当時を振り返る

97年9月18日のエスタード紙のカカーの特集記事

97年9月18日のエスタード紙のカカーの特集記事

 サッカーのW杯に3度出場し、2007年には世界最優秀選手にも選ばれた名選手カカー。そんな彼がブラジルのメディアで初めて特集されたのは、まだ15歳だった1997年9月18日付のエスタード紙スポーツ欄だった。それから20年後、現在のカカーがその時のことを振り返って、同紙の取材にこたえた。
 その20年前の特集の見出しにはこう書かれていた。「サンパウロ(FC)の21世紀はカカーが担う」。その頃のカカーのスペルはまだ「CACA」で、後に知られる「KAKA」ではなかった。
 カカーはこの記事に関し「今も大事にとってあるんだ。あれは僕にとって、予言めいたものでもあったからね」と語った。
 この当時のカカーはサンパウロFCの下部組織に在籍する15歳。驚くことに身長は163センチで、後に186センチの長身で知られた彼のそれとは全く異なる。
 「あの当時、担当のドクターにも言われたんだけど、僕の骨は他のひとたちより2年ほど成長が遅かった。だから栄養学の先生と相談して対策を考えた。結果的には週に3回やった水泳が効いたんだと思うな」とカカーは語る。
 さらに、「僕がミッドフィールダーになったのも低かった身長のせいなんだ。最初はフォワードだったんだけど、その時の指導者から、僕の身長では相手ディフェンダーとの空中戦には勝てないだろうと判断されて位置を下げられたんだ」と語る。
 そのような小柄な少年は、後に3度のW杯に出場し、一度は世界一に輝いた上、ACミラン時代の2007年は世界最優秀選手を意味するバロンドール獲得と、スーパースターへの道を歩んだ。
 「20年前の僕ときたら、とにかくサンパウロの選手のレベルになることだけを考えていたからね。まさか、こんな未来になるなんて夢にも思わなかったよ」とカカーは振り返る。
 また、「この20年のサッカー人生で嬉しかった三つのことは?」との質問に対し、カカーは真っ先に「2002年のW杯」をあげた。当時はまだ控え選手で、試合への出場は対コスタリカ戦のわずか30分だったが、「初めての大会で特別な人たちとの中にいて興奮したよ」と答えている。あとの二つは、2007年のACミランの欧州チャンピオンズ・リーグ制覇と、同年のバロンドール獲得だ。
 また、2006、10年のW杯に関しては、「06年は肉体的なピークだった。(リーダーを期待された)10年はひざの故障がひどく、つらかった」と語っている。
 さらに、ブラジル・サッカー界に関しては、「2002年のW杯制覇で止まってしまったのは否めない。でも、今は復調し始めているよね。ネイマールはすごく良くなっているし」と前向きにとらえた。
 そして今後、ブラジル・サッカー界への復帰の可能性に関しては、「(現在所属の)オーランド・シティとの契約は今年の12月31日まで。向こう数週間で来季以降の契約について話し合う。基本はアメリカに残る予定なんだけど、不調に終わればブラジルに戻ることもあると思うよ」と語った。(4日付エスタード紙より)