サンパウロ日本人学校50周年=戦前移民の苦難を劇で再現=「この伝統を50年後も」

開催式の様子。生徒たちが考案した今年のテーマ「証 魅せよう50のキセキ」を掲げた

開催式の様子。生徒たちが考案した今年のテーマ「証 魅せよう50のキセキ」を掲げた

 サンパウロ市カンポ・リンポ区にあるサンパウロ日本人学校(吉田直人校長)は今年創立50周年を迎え、9日午前8時45分から同体育館で記念式典を行なった。恒例の文化祭「カンポリンポ祭」に合わせて開催され、小中学生による演劇、合唱、ダンスなどが発表され、父兄らは楽しく和やかな一日を過ごした。

 会場の体育館には、同校OBや元教職員らゆかりの約100人から届いたメッセージや寄書きが掲示された。創立当初の67年には文協ビルを間借りして授業を行なっていた。当時在学していた島田武彦さんからは「文協の後、イピランガのザビエル学園に間借りし、待望の独立校舎をジャバクアラに持った。全てが昨日のことのように思い出される」と懐かしむメッセージが届いた。
 発表は午前9時、小学生児童による音楽劇で幕を開けた。保護者らは自分の子供の出番になると前列に移動し、我が子を撮り逃さまいと真剣な顔つきでビデオカメラを構えた。
 午後からは、中学生による戦前移民の苦難の歴史を描いた劇が上演された。生徒たちはサンパウロ州イビウーナ市やグァタパラ移住地を訪問して日本人移住者から話を聞き、それを元に脚本を練った。豊かな生活を夢見てブラジルに渡ってコーヒー園労働に従事するも、厳しい労働環境や差別に苦しむ一家を中心としたストーリー。戦中や勝ち負け抗争の混乱も描いた。劇の最後にはタイトルにも使用された合唱曲「変わらないもの」を全員で歌った。保護者の中には感涙し、ハンカチを目に当てる姿も見られた。
 式典は午後1時に始まり、来賓として在聖総領事館の関口ひとみ総領事代理、ブラジル日本商工会議所の松永愛一郎会頭、日系3団体代表らが出席。吉田校長は劇などを終えた児童・生徒たちを称え、「この素晴らしい伝統を今後50年続けていきたい」とした。
 最後は毎年恒例の全校児童・生徒による「全校サンバ」となり、楽器の演奏、踊り、ダンス、カポエイラを披露。大きな盛り上がりを見せた。
 式典後、吉田校長は「この学校で子供たちはブラジルが好きになって日本に帰っていく。ここでの思い出は大きな糧になる」と話した。
 高校受験のため帰国することが決まっている中学3年生の安武碧音(やすたけあおね)さん(14)は、「日本に帰ったら日系人の方々が苦労した歴史をできるだけ皆に伝えたい。ブラジルに来て学ぶことが出来てよかった」と話した。
 現在のカンポ・リンポ区に移転したのは74年。81年に児童・生徒数が905人に達し最多となったが、その後企業の撤退や単身者が増え、式典当日時点で196人。50周年記念誌は今年度末に発行予定。

 

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 サンパウロ日本人学校の吉田直人校長は今後の方針として、「日本人学校はその土地に日本文化を発信する親善大使のような役割がある。グァダパラ日本語学校の生徒たちとの交流などを通して、日本の文化を伝えている。これからもそういった活動を重視していく」と語った。同校OBで、現在日本で大学に通う田島雄飛さん(20)は「父がブラジルに住んでいるので会いに来た。久しぶりに学校に来てとても懐かしい気持ちになった。ここで国際的な理解を深めて、将来役立てて欲しい」と後輩を激励した。
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 サンパウロ日本人学校が、ジャバクアラの小規模な校舎からカンポ・リンポ区の広大な敷地に移転したのは1974年。式典会場にはOBからのメッセージが貼り出され、74年から4年間在学した塚田由佳子さんは「真新しい校舎で、あちこち工事もまだ完了していませんでした。(中略)夏には毒蛇が出て若い男性の先生方が必死の想いで捕獲されたり、プールでは蛇と犬が泳いでいたり・・・日本にいたら絶対に経験することのなかった強烈な経験でした」とのコメントを送った。当時は田園風景の真っ只中にあり、野外学習として生徒たちが校外に出ることもあった。でも周辺地域の治安の悪化に伴い、今は無くなったとか。ときの流れをしみじみと感じる展示となったようだ。