わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(76)

 空港へ数回に亘り往復し、領事館に依頼しても埒があかなかったこれら別送品が、州知事の一声ですぐさま解決OK。

 80周年記念祭に於ける思わぬハブニングがあったことは生涯忘れることのない思い出である。
 その後、それぞれの受賞者を代表して、謝辞がのべられ、宮城宏光副知事の高らかな万歳が三唱され、最後に照屋弘副実行委員長の閉会の辞で式典の幕がおろされた。

 その頃にはすでに屋上体育館で祝賀昼食会が準備されていた。
 さっそく会場を移し1500名の参加者が詰めかける。
 私は、祝賀委員長として開会の言葉を述べ、続いて高良清敏総務部長の乾杯音頭でカクテルパーティーが始まった。
 祝賀パーティー約1時間半、使節団一行並に来賓及会員と大勢の参加者はそれぞれ旧交を暖め名残惜しい交流の一時をすごした。
 次いで、はるばる古里から芸能団5名による記念祝賀郷土芸能公演が大サロンでくりひろげられた。県人会からサンバショーを提供し観覧席は賑やかに華やいだ。

南米移住者連絡会議

 沖縄県系人移民が集中的に多数をしめるブラジルでは、海外県人27万人の半数近い約12万人が在住していると言われている。

 これだけの移住者を代表する県人会長やその代表が母県の関係者と直接対話・意見交換して交流を計ることはとても有益なことだと思う。
 それで、今回はブラジル県人移民80周年祭典に出席中のアルゼンチン、ペルー、ボリビアの代表者と母県の関係者が一堂に会し、「南米移住者連絡会議」が開催された。

 これまでも幾度か開催されてきたが、私にとっては初めての会議であり、有意義な連絡会議であった。
 この時点に至るまで私は、家業守るために精一杯の時代だったので、会報『協和』誌の記録によって事情を知る他なかった。

 何れかの国のイベントがなければ、その機会は作れないわけである。

 幸いにも今回は、わが県人80周年祭典の機会を活用して、県の宮城宏光副知事一行7名が参加した。

 県議会から事務局の立津敬夫、教職員組合長比屋根清一、産青協理事長外間喜明、茶道田中千恵子、琉球大学中山満・島袋伸三、前門晃教授、市町村会長の代表3人、琉球新報比嘉健次、ペルー・ボリビアの県人会長、そしてブラジル側からは花城清安・清和、屋比久孟清、嘉陽相備の歴代会長そして現執行部理事20名、その他支部長など10数名合計60数名が参加した。

 会議においては、①移民子弟の留学制度の拡充、②国際移民資料館建設について具体的に検討・討議され、今日まで知らなかった県当局の取り組み内容などが実態判明し、県も移住地の要望をよく聞いてくれた。