石川県人会創立80周年記念式典=県人移住百年、会館22年=副知事ら15人来伯慶祝=母県体験制度存続を要請

激励金を受け渡す竹中副知事(左から2番目)と森本会長

激励金を受け渡す竹中副知事(左から2番目)と森本会長

 ブラジル石川県人会(森永正行ジェラルド会長)は、『ブラジル石川県人会創立八十周年 石川県人移民上陸百周年 石川県人会館二十二周年記念式典』を8日、サンパウロ市内のパウリスタ大通りにあるクルベ・オムスで開催した。母県からの慶祝団として竹中博康副知事や米澤賢司県議会議長ら10人に加え、石川県海外移住家族会(中西伸一会長)の5人、計15人が来伯。現地側からは270人以上の関係者が節目を祝った。

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 石川県移民の歴史を紐解くと、1917年8月27日、石川県初の移民である安田安兵衛、山岸又助、田中九郎助の3家族29人が乗った「しあとる丸」がサントスに入港したことから始まる。うち、安田安兵衛は弟の友次郎とともにレジストロ植民地に入った。友次郎は5年後に独立し、37年に創立された石川県人会の発起人の一人となった。
 同県人会が式典を行なうのは2005年の会館十周年記念以来、12年ぶり。県人会創立70周年の07年は、県内に被害をもたらした能登半島地震が発生したため開催を自粛した。
 式典には慶祝団として竹中副知事、米澤議長、平藏豊志議会商工観光公安委員長ら10人と、海外移住家族会会員5人が来伯。来賓には在聖総領事代理の関口ひとみ首席領事、日系3団体代表として県連の川合昭執行理事、文協の呉屋新城春美会長、援協の与儀昭雄(あけお)会長、ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会の菊地義治実行委員長、祖父母が石川県出身でジャパン・ハウス館長の平田多美子アンジェラさん、マナウス石川県人会の岡本健会長らが出席した。
 挨拶に立った森永会長は、「1937年に石川県人会が発会して、生まれ故郷を懐かしむ県民同士が会い、情報交換の場ができ、母県の文化や伝統の継承を心がけるようになった。それから母県との連絡を欠かさずに続けてきた」と母県との紐帯の強さを強調した。
 「県人会としての現在までの発展と成長、及び数々の業績は、歴代の県人会長や幹部の皆様、会員の方々の長年に渡る努力と苦労の賜物。母県からの長年に渡る援助も大きく貢献している」と謝意を示し、「母県との交流、会員相互の親睦が会館を通じて末永く続く事をひたすら願う」と締めくくった。
 谷本正憲知事は欠席となったが、ビデオメッセージを送った。「ブラジル国内における皆様方への高い評価は、県民にとっても大きな誇り」と敬意を表し、「これからも、次の時代を担う青少年の相互交流など、県人会との交流を積極的に進め、日伯の友好親善の拡大にも貢献したい」と語った。
 その後、関口ひとみ首席領事、県連の川合昭執行理事、ジャパン・ハウスの平田館長による祝辞が続いた。
 県と県人会による記念品の相互贈呈や、特別功労者の竹下義康相談役、功労者の橋本アルナルド繁理事、高齢者代表の長田光夫さんへの感謝状贈呈が行なわれた。高齢者表彰の対象は80歳以上会員62人で、うち式典には20人が出席した。
 同県人移住100周年を記念し、米澤議長から、石川県初の移民の子孫、安田イツエさん、沢田ヒサコさん、長谷川山岸キヨさんに記念品が贈呈された。
 続いて、留学生、研修生、青年交流を代表して清丸たみイージさん(26)が謝辞を述べた。2007年の青少年育成事業と11年の短期日本語研修に参加し、母県から補助を受けて滞日。「日本滞在中の時間があっという間に過ぎるくらい楽しい日々を送った。このような体験を今後もブラジル県人会の家族の方々に分け与えていただきたい」と制度の継続を要請した。

 

親睦深めた記念祝賀会

 記念祝賀会では森永会長と来賓らが、県人会創立記念の「80」と県人移住記念の「100」のろうそくに火を灯してケーキカット、さらに鏡開きを行った。YOSAKOIソーランやサンパウロカーニバル優勝チームによるサンバショーなどが披露され、会場が一体となって盛り上がった。
 海外移住家族会の中西会長は、3年ぶりにサンパウロ市在住の親戚、内田アリッセさん(63、二世)と再会し、親族の歴史の話に花を咲かせた。
 中西家は本家がブラジルに渡り、分家が日本に残った。中西会長が、本家が移住した理由を「営んでいた織物会社が火事を起こし、町にいられなくなった」と話すと、内田さんは「自分の親からそういった話を聞いたことがなかった」と驚いた様子を見せた。
 内田さんは「話を聞くことができた良かった。家族の歴史や石川県にさらに愛着が湧いた」と感慨深げに話した。
 マナウス石川県人会の岡本健会長(67)は「若い人たちが活動に参加してくれるように日本語教室を開くなど試行錯誤している」と話す。60年に設立された同会は、現在58家族が会員となっている。
 「日本語が話せない三、四世が増えてきた。彼らを繋ぎとめられるのは、同じ若い世代のリーダー。今後は彼らに任せて、我々は支える役になりたいと思う」とし、世代交代の時期であることを強調した。

 

石川県会館を慶祝団が視察=文化活動を支えて22年

除幕式の様子

除幕式の様子

 式典前日の7日、「ブラジル石川県会館開館22周年記念プレート除幕式」が同会館で行なわれ、慶祝団の竹中博康副知事、米澤賢司議長らが出席。会館の文化活動を視察した。
 除幕式では同県人会の小堀勇ジェラルド相談役と竹下康義相談役から開館に至るまでの経緯について説明があった。落成以前、会館を持っていなかったのは石川県人会含め6県人会のみ。行事の際は他の県人会から会館を借りるなどしていた。
 会館建設に当たっては、石川県と県内の全市町村から補助金を受けた。現在は婦人部集会、宝生流謡曲の会、陶芸、生花、水彩画、絵手紙、能楽教室などが開催されるなど、活発に文化活動が行なわれている。
 「ブラジル石川県会館」という名称について竹下相談役は、「母県とのつながりを意識して、あえて『県人会会館』としなかった」と述べた。
 その後、竹中副知事と森永会長によりプレートの除幕が行なわれ、開館記念を祝した。
 竹中副知事らは、大広間に新たに設置された歴代会長の写真や、県から寄贈された蔵書がある図書室、陶芸工房などを視察。
 当日、母県より来伯した平田陶工房の平田良仁さんによる陶芸教室と、青木クッキングスクールの得永昭子さん、谷敬子さんによる料理講座が開催されており、約50人が参加した。

陶芸講座を視察する竹中副知事

陶芸講座を視察する竹中副知事

 会館の陶芸教室に3年間通っているという女性は、「みんなとしゃべりながらやるから時間があっという間に過ぎる」と笑顔で話した。
 陶芸工房には母県からの補助金で購入した電気窯が設置されている。式典来場者に贈呈した桜をモチーフにした小皿300枚もこの工房で作られた。
 竹中副知事は、「これだけ多くの人が利用しているのを見られてよかった。会館建設のため、県と(当時)41の市町村で支援させていただいたかいがあった」と感慨深げに話した。
 森永会長は「会館には県から寄贈された加賀友禅や和太鼓などが飾られており、常に県とのつながりを感じることができる。これからも多くの会員に活用してもらいたいと思う」と述べた。

 

相互交流を積極的に=石川県知事 谷本 正憲

谷本知事

谷本知事

 皆さん、こんにちは。石川県知事の谷本正憲でございます。
 本日、ブラジル石川県人会創立80周年の記念式典が多くの皆様方の参加を得て、盛大に開催されますことを、まずは心からお祝い申し上げたいと思います。
 ふるさと石川を離れ、大きな夢を託してブラジルに雄飛された移住者の皆様方は、大変な苦難のなか、今日の地位を築かれるとともに、ブラジル社会の発展にも大きな貢献をしてこられたわけでございます。
 ブラジル国内における皆様方への高い評価は、私ども石川県民にとっても大きな誇りでございます。改めて心から敬意を表したいと思います。
 そして時が移ろい、県人会を支える主力はブラジルにおいて生を受けられた二世、三世のみなさま方が中心になっておられる、というふうにお聞きをいたしておるわけであります。
 今回、残念ながら皆様方に直接お目にかかることは叶いませんが、石川の文化にぜひ触れていただきたい、こんな思いで今回は陶芸と家庭料理の講師の方々を派遣させていただきました。
 これからも、次の時代を担う青少年の相互交流など、ブラジル県人会との交流を積極的に進めてまいりたいと思いますし、そのことを通じて日本とブラジルの友好親善の拡大にも貢献をしてまいりたい。このような思いでございます。
 最後に、森永会長をはじめ、県人会の皆様方、お集まりの皆様方の、今後とものご健勝を心からお祈り申し上げますとともに、ブラジル県人会の皆様方のご発展を心から祈念申し上げまして、お祝いの言葉にさせていただきたいと思います。おめでとうございました。

 

交流が末永く続く事を願う=ブラジル石川県人会会長=森永正行ジェラルド

森本会長

森本会長

 ご来場の皆様、本日はブラジル石川県人会の記念すべき式典にようこそお出で下さいました。
 この日を迎えるにあたって、遠路母県から、石川県副知事、竹中博康殿、石川県議会議長米澤堅司殿、同議員平蔵豊志殿を始めとする皆様が、石川県慶祝団として式典にご参列頂きます事に心より感謝申し上げます。
 なお、お忙しい中を、在聖日本国総領事代理、関口ひとみ首席領事のご参列をいただきました。日系諸団体、日系議員、各県人会代表の皆様方、マナウス石川県人会会長岡本健様、ジャパン・ハウス館長の平田多美子アンジェラ様、そして当県人会会員の皆様には、ご多忙中ご参加をいただき誠にありがとうございます。重ねて衷心より御礼を申し上げます。
 今年は県人会創立80周年、石川県第一回移住者安田安兵衛、山岸又助、田中九郎助、三氏の家族がしあとる丸で到着して100周年、それに1995年に石川県及び全市町村の助成を受けた石川県会館落成から22周年に当たります。
 初の石川県民が移住してから20年が経った1937年、先人たちは石川県人会を発会させました。県人会を作る事によって、生まれ故郷を懐かしむ県民同士が会い、情報の交換の場を持ち、母県の文化や伝統の継承を心がける意図もあった様です。会館が出来るまでは、何年間もの間、幹部たちの住宅や食堂などで会合を重ねて、母県との連絡は欠かさずに続けて参りました。
 1970年には、若い世代の母県との交流事業が始まり、その事業は現在まで継続されています。なお1980年には、石川県がそれまで母国を訪問した事のなかった一世の移民達を日本に招いて下さるという招聘事業も始められました。その恩恵に浴した移民の数は300人以上に上ります。
 その度毎に石川県海外移住家族会の皆様も、県庁からのお招きで母県を訪問する移民の皆様を温かくお迎え下さり、歓迎の場を設けて下さった事は大変ありがたいことであります。現在家族会の会長でいらっしゃる中西伸一様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
 県人会としての現在までの発展と成長、及び数々の業績は、歴代の県人会長や幹部の皆様、会員の方々の長年にわたる努力と苦労の賜物としか言えません。
 先人の皆様の弛まない努力は言うまでもない事でありますが、母県からの長年に渡る援助が大きく貢献している事も事実であります。県からのご支援に衷心より御礼申し上げます。
 ブラジル石川県人会の現会長として、母県との交流、会員相互の親睦が石川県会館を通じて末永く続く事をひたすら願うものであります。
 最後に、ご来場の皆様のご健康と益々のご繁栄を願い、私の挨拶とさせて頂きます。