県連故郷巡り=ブラジル/ポルトガル/日本=不思議な〃三角関係〃=第11回=世界の果てが新世界への出発点

ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬

ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬

 怖いぐらいの強烈な風が吹き付け、身体を持っていかれそうだ。9月19日夕方、一行はユーラシア州大陸最西端のロカ岬へ向かった。リスボン市内より寒い感じだ。切り立った断崖絶壁の向こうには大西洋しか見えない。いかにも「地の果て」という雰囲気が漂う。
 ホメロスやダンテと並び称されるポルトガル史上最大の詩人ルイス・デ・カモンイスの代表作、叙事詩『オズ・ルジアダス(Os Lusiadas)』の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeca)」を刻んだ十字架の記念碑に加え、「欧州の終わり(Fin da Europa)」などと書かれた石碑も立っていた。
 この叙事詩は、カモンイス自らが東方航海を体験して帰国した3年後の1572年に出版された。ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を中心に、大航海時代におけるポルトガルの海外進出と栄光を描いた物語だ。リスボンで見た「発見のモニュメント」に彫られた登場人物は、この作品の登場人物そのもの。
 彼にちなんで、ポ語世界でもっとも権威ある文学賞「カモンイス賞」も作られた。
 西に進んでアメリカ大陸に辿りついたコロンブス、南下してアフリカ越えをしてインドに到達したヴァスコ・ダ・ガマ。大航海時代、欧州から世界へ旅立とうとした人はみなこのような場所に来て、夢を膨らませたに違いない。
 ヨーロッパという「旧世界の果て」であったがゆえに、ポルトガルは遠いアジアを始め、アメリカ大陸という新世界への出発点となったことが実感される場所だ。
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市川さん夫妻

市川さん夫妻

 9月19日晩、リスボン市内の民族歌謡ファドの生演奏を聞かせるレストランで一行は食事をした。ギターと歌はかなり情熱的だったが、評判通りどこか物悲しい雰囲気も強い。平たく言えばカントリーソング、ブラジルならセルタネージョの類のように聞こえる。
 たまたま隣に座った、日本国外で最大級の日本をテーマにした祭典、県連主催「日本祭り」で実行委員長の大任を務めている市川利雄さん(富山県人会会長、69、二世)と話していたら、44年前にポルトガルに来たことがあるという。
 市川さんは「その頃は町がもっと汚かった。例えばバールの床は、つまみで食べる黄色い豆のカスで一杯。床まで黄色くなっていた。当時ブラジルから来て、『遅れた国だな』と感じた」と振りかえる。
 「ITA」(航空技術大学)の卒業旅行で、学生40人、引率教授2人で2カ月かけて欧州を旅行した際、ポルトガルに立ち寄った際の印象だ。ITAといえば、ブラジル最高峰の理系大学であり、超難関だ。航空技術や宇宙工学までの最先端が学べ、卒業生の多くは航空機メーカーのエンブラエル社に就職する。
 当時の競争率は60倍。一学年100人のうち、市川さんの同期はなんと22人が日系人だったそう。「今は8人もいないでしょ」と笑う。あのITA新入生の22%を日系人が占めた時代があったとは驚きだ。
 「2カ月の旅行といっても自費は飛行機代だけ。例えばフランスやドイツ滞在中は現地側が全部面倒を見てくれた。その代わり毎日、工場見学とかね」。さすがITA卒業ともなれば世界の大企業から引手あまただ。
 「あの頃スペイン、フランスに行くと、レストランの給仕とかホテルの従業員がみんなポルトガル人だった。近隣の大国にデカセギしていたんだね」と振りかえる。「ポルトガルには5回目。EUに入ってから急に経済が良くなったね」と目を細めた。(つづく、深沢正雪記者)