どこから来たの=大門千夏=(10)

 相変わらず馬鹿正直でうんざりすることは度々あったが結婚生活は平穏に続いた。
 いくら金儲けが上手でもケチでお金に汚い男ではどうにもならない。これでいいんだ。私の分相応な夫なのだと自分を慰め慰めてのあっという間の二五年、幸いなるかな最後まで「保険」を受け取るチャンスはなかった。(二〇〇九年)

サバサバと話せる日

 サンジョアキンでメトロを降りると、ベルゲイロ大通りに沿って、舗道をゆっくり援協に向かって歩いて行く。
 久しぶりに雲の合間から太陽が顔を出したせいか、通りにある大学や予備校の学生がバールでコーヒーを飲んだり、つまみものを食べたりしながら、舗道にまであふれておしゃべりに余念がない。はちきれんばかりの若さに圧倒されそうだ。
 向こうから日本人の老婦人が口をモゴモゴさせながらこちらに向かって歩いてくる。
…なるほど母の言う様に、立ち食いは格好いいものではないなーと、思っていると出会いがしらに夫人は、「若い人が舗道にいっぱいで、これじゃあ歩けませんよね」と私に話しかけてきた。黒っぽいセーターに材質の良い竹色の花柄の上着を着て、おしゃれである。七〇歳代であろうか。
 唇の周りに白いツブツブがくっついている。どうやらポン・デ・ケージョ(チーズ・パン)を食べていたらしい。右手に折りたたんだ紙ナプキンをしっかり握って、唇を拭きながら、「久しぶりに天気になりましたね。今日はね援協(援護協会)に行ってきたの。年取るとだめねー」
 ぶ厚い唇の間から、話すたびに白い粒粒が朝の陽に当たって放物線に飛んでくるのがはっきり見える。…ヤダナー。
「そうですよね、どこかが悪くなる。治らないうちに次がやってくる。」と私が言うと、女はおかしそうに笑って、「こんなこと言ってる内がいいのね、死んでしまったらおしまいだもの。…私の息子はね、レプレーザ(人造湖)で沈んでしまったの」…急に何のことかわからない。
「ええっ?」
「一人息子がね、レプレーザで沈んでね、それで一〇年たって、子供が生まれたけど欲しくないと言う人がいたから、その人の子供をもらって育てたの」
 沈んだって…死んだってこと? 大変な事じゃあないの、それにしてはサバサバと話をする人だ。その間、しゃべるたびに口から白い粒粒がポッポッと私に向かって飛んでくる…ア・ア・アー。 話に熱が入ったのか、こんどは左手でぐっと私の右手をつかんで引き寄せて、「その子を大学にも出したよ。いま、三〇歳でナモラーダ(恋人)ができた。好い娘でね、親切で、とってもやさしいの」
「良かったねー優しい人が一番よ」と私は口では言いながらも、
…大丈夫なのかなァ、知人の息子は、優しい優しい大人しい娘と結婚したけど、結婚式が終わったらだんだん強くなって、子供が生まれたら、それこそ大豹変。図々しく厚かましくなって、とうとう彼はいたたまれなくて別れてしまった。優しそうって信用できないよ、気を付けた方がいいよ、と腹の中で思う。
「主人が家を三軒残してくれたから、それを貸して私は楽ーに暮らしているのよ」ことさらラクーに力を入れて言った。
「よかったねーホントご主人に感謝ねー」心から言う。長い人生、大波小波を乗り越えてきたんだから、みんな老後は豊かに過ごしてほしいものだ。