大耳小耳

 コチア青年連絡協議会(前田進会長)が7月に発行した『コチア青年会報』第43号には「わが故郷ブラガンサ・パウリスタ」(永松通一みちかず)という名文が載っている。1964年着の著者は最初の4年間をここでバタタ作りをしながら過ごした。50キロの痩せっぽちだった体格が農作業でみるみる逞しくなり、たった半年で65キロに。60キロの芋袋をどんどんトラックに積める様になった。義務農年を終え、出聖してコチア組合の倉庫でバタタ売りに転じた。「インフレがひどくなり、農業は全く儲からなくなった。バタテイロを続けずにサンパウロで商売を始めてよかったと思う。パトロンの山本さんの家も55年前に着いた時と同じように有って、未亡人と息子が住んでいる」。そして最後が文学的だ。「ブラガンサの山々はいつも青く、空は大きく、正にそこは故郷である」と締めくくる。サンパウロ市に住むがゆえにブラガンサが「故郷は遠きにありて思うもの」となっている。