MPB4のルイ・ファリア死去=シコ・ブアルキやミルトン・ナシメントらと共演

 1960~70年代にかけて、シコ・ブアルキやミルトン・ナシメンら、後のブラジル大衆音楽の巨人となったアーティストたちとの共演で知られるヴォーカル・グループ、MPB4のルイ・ファリアが11日、死去した。彼の元妻で歌手のシナラ・ファリアがフェイスブック上で明らかにしたもので、死因については明らかにされていない。80歳だった。
 1937年にリオ海岸部のカンブシーで生まれたルイは、28歳だった1965年、当時大学生だったミウチーニョとマグロ、高校生だったアキレスの4人でヴォーカル・グループのMPB4を結成した。
 4人は美しいハーモニーとギターで、サンバやボサノバ、フォーク・ミュージックを演奏し、1966年に最初のアルバムを発表した。
 ただ、彼らの名前を圧倒的に有名にしたのは、同郷のリオ出身で、当時、新進気鋭のシンガーソングライターだったシコ・ブアルキだった。MPB4はシコのバックバンドという形で、若いアーティストの卵主体の、テレビ局主催で放送された音楽祭「フェスティバル・デ・ムジカ・ブラジレイラ」に出演。この番組は当時、同じ名前の番組が続発するほど若者たちの爆発的な支持と人気を得た。シコとMPB4は若者の心をつかみ、とりわけ、レコルデ局で披露した「ロダ・ヴィヴァ」が大ヒットした。
 シコは検閲ギリギリのきわどい歌詞で歌うことで知られていたが、1969年に軍事政権の抑圧から逃れるために一時イタリアに亡命。MPB4との共演も終わるが、その後もしばし、共演はしていた。
 1970年代には、シコやカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルと並ぶ、この時代のもうひとりの大物、ミルトン・ナシメントのバックもつとめ、名をはせた。
 1973年には、当時大々的にヒットし、現在に至るまでリバイバルが相次いでいるテレビドラマ「オ・べン・アマード」の主題歌を、ボサノバの大家であるトッキーニョとヴィニシウス・デ・モラエスと共に録音した。
 奇しくも、60~70年代に当時の才能あるブラジルの若者たちの奏でた音楽は、前述の音楽番組の略称の意味を込め、「MPB」と呼ばれたが、MPB4はこの音楽の屋台骨を支えたグループとなった。
 MPB4は解散もせずに、現在まで活動を続けているが、ルイは2004年に、メンバー間の財産分与を巡ってミウチーニョと対立して、グループを脱退した。ルイはその後もソロで活動を続け、2016年にはキャリア50周年を記念したアルバムも発表していた。(12日付G1サイトなどより)