ホーム | 文芸 | 連載小説 | どこから来たの=大門千夏 | どこから来たの=大門千夏=(33)

どこから来たの=大門千夏=(33)

「何処から来たの? どんな所から来たの? 祖先様に会った? どんな顔形をしていた? どんな話をしたの? 貴女にこの肉体を着せてくれた人は誰だった? どんな人だった?」
 私は声に出してしつこく聞いてみる。
 覚えているに違いない。ただ伝えるすべを知らないし私も聞き出す術を知らない。
 赤ん坊はまるで話がわかるかのようにじっと真剣なまなざしで私を見て、其の上「あーあー」とか「ううー」とか言って返事さえしてくれるではないか。
 この子は知っているのだ! 覚えているのだ! 記憶が残っているのだ! 顔かたちは赤ん坊でもこの目の深遠なる輝きは大人より英明ではないか。何もかも知っている! 何もかも理解している。
 自分が此処に生まれて来た理由も知っている。そうなんだ! 私は一人合点して歓喜し、こんな時だけ神に感謝する。
 しかし、何ヵ月たってもこの質問に答えてくれるそぶりは一瞬たりともない。
 それにしても毎日成長してゆく様は見事である。昨日まで出来なかった事が今日はできる。毎日新しい事ができる。新しい発見がある。
 ミルクを飲んで寝ていただけの生活からこの人間界が見えるようになってくると、お乳を呉れる母親の顔をじっと見る。凝視する。アバタの数形まで記憶しているに違いない。大人の一挙一動を瞬きもしないで観察している。手にしたものは何でも頬につけて感触を知り、果ては口に入れて舌でさわって見る。味と大きさをきちんと記憶しておく為なのだ。
 人間がこのような観察力を死ぬまで持ち続ける事が出来ていたら、人類皆天才と秀才ばかりで、この世はどのような形になっていたのだろうか…と考えたりする。
 聴覚も発達してくる。家族の声を聞き分ける。特に母親の声がすると目が輝き両手両足を動かして喜び「世界はママと私だけ」を体中で表現する。祖母の時はせいぜい半分の喜びを、父親には気の毒だけど三分の一。母親に抱かれ声の抑揚で喜怒哀楽を誰よりも早く察知して平安、喜び、信頼、不安、恐怖を感じる反応の早さ!
 声を発するようになると観察する世界はもっと広がってくる。
 自由奔放な目の輝きをヒタと止めて、大人のしている事をじっと観察し終わると、「あーあーうー
うー」と奇声を発して両手を動かしている。きっと回りの大人たちを批評しているに違いない。
 「お母さんは美しいのに、おばあちゃんは何であんなに色黒く、しわがあるんだろう」――「おばあちゃんに抱かれるとごつごつして居心地悪い」――声を大にして言っているのだ。そうして自分の要求はしっかり伝える。
 「おなかがすいた」 退屈した 「早く早く」「嬉しい」「悲しい」「怖い」「私の知らない人だ」「此処は初めての場所」「抱き方が悪い」心中を目の光で表現して、それでも思うようにならないと、おもむろに泣き声を上げる。
 最初はちょっと弱々しく可愛く、其のうち大きく泣き喚きだす。其のたびに大人たちは蟻の巣が攻撃されたように右往左往。何が起きたのか如何していいのかわからない。抱き上げて虫でもいたのかと衣類を点検し、喉が渇いたか、おなかがすいたかと台所に走り、ヒャックリが出なくて苦しいのか…否、おしめ、おしめだ、と騒ぐ。其の間、赤ん坊はクシュクシュ言いながらもじっと回りの大人たちの動きを目で追い、言葉の抑揚で彼らの心を観察している。言葉が出来なくても周りの者どもを思うがままに動かしているではないか。恐るべきこの怪物。

image_print