「政府の公式謝罪は重要」=パット・フー=高井フェルナンダ=アンシェッタ島収監の祖父を語る

取材に応じたフェルナンダ・タカイ

取材に応じたフェルナンダ・タカイ

 サンパウロ州北東海岸部ウバツーバ市のアンシェッタ監獄島に1946年から3年間収監された日本移民を顕彰して昨年、9月23日が同市記念日に制定された「アンシェッタ島日本移民の日」――。それを受け、曽祖父、祖父が同島に収監されていた人気バンド「パット・フー」の歌手、高井フェルナンダさん(46、三世)が先月20日、本紙の取材に応じ、その想いを打ち明けた。

 兵庫県出身の曽祖父・利三郎さんと祖父・利太さんは1925年に河内丸で移住。戦前はバストスから約50キロ離れたルセリアに住み、珈琲労働に従事した。曽祖父は臣道連盟のメンバーだったという。
 同島抑留者約170人の中には、勝負抗争で殺害事件に関与した実行犯約10人もいた。だがそれ以外の大多数は、臣道連盟幹部や御真影の踏絵を拒否しただけの無実の日本人だった。そのなかに利三郎さんと利太さんも含まれていた。
 フェルナンダさんは「昔の話なので、私も全く知らなかった。曽祖父も祖父も家族には隠していたから。父もずいぶん前に亡くなり、父が知っていたのかどうかすら今では分からない。事件当時、父もまだ子供でしたから」と語り始めた。
 埋もれた歴史に光を当てたのが00年刊行のフェルナンド・モラエス著『汚れた心(Coracoes Sujos)』だった。
 作家として本も出版するフェルナンダさん。「臣道連盟や逮捕された日本人がいたことは知っていた。その本を読んでいた時に、ちょうど従姉妹も読んでいて『収監された日本人のリストを見た?』と聞かれ、曽祖父と祖父の名前を見つけてびっくり仰天。家族の名前が載っているとは毛頭考えていなかった」と当時の心境を振り返った。
 同市での日本移民顕彰を受けて「何より重要なのは歴史が語られ始めたこと。若い世代も、この事実を知るべき。なぜなら私達の歴史に空白があったわけだから」とその重要性を強調した。
 「当事者であった家族ですらも知らなかったこと。これからは少しずつ皆が理解し始める。当時、苦い経験をした人にとっては羞恥心や政治的なことで口にできなかったのかもしれないけれど」と三世として率直な意見を述べた。
 同日、ジョルナル・ダ・クルツーラが移民110周年についてニュース報道。ブラジル日本移民史料館で呉屋春美文協会長が取材を受け、先駆者の苦労を語ったほか、フェルナンダさんもアンシェッタ監獄島収監者への謝罪について触れた。
 TV局のナレーターは「これは殆んど知られていない史実。政府による迫害で日本移民は苦しんだ」と監獄島での逸話を紹介し、13年に真相究明委員会が第2次大戦前後に迫害された日本人移民に対し、謝罪したことにも言及した。
 日系人に対する強制収容を行った米加両政府は88年に人権侵害を公式に謝罪した。だが、サントス強制立退きなど重大な人権侵害が起きたにも関らず、ブラジル政府からの謝罪はない。フェルナンダさんは「政府や政府要人が、日系社会に対して公式に過ちを認めることはとても重要なことだ」と語った。

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 映画監督の松林要樹さん(現在沖縄在住)が一昨年、サントス強制立退き名簿を同日本人会館で見つけて以来、沖縄県人移民研究塾同人誌『群星』が当時の証言を続々と取上げるなど、日本移民迫害に対するブラジル政府の謝罪を求める運動に追い風が吹いている。ジョルナル・ダ・クルツーラの報道を受けて、文協の協力姿勢を質問すると、呉屋会長は「反対ではないが、文協を名乗ってやるわけにはいかない。全日系社会の代表たる文協が、意見の分かれる問題について立場が偏ってはいけない」と消極的な姿勢を示した。ブラジル政府による人権侵害は、勝負抗争とはまったくの別問題。先人の名誉に係る問題のはずであり、北米の日系団体は政府から謝罪を勝ち取っている。フェルナンダさんのような三、四世世代が目を向けはじめ、新風を巻き起こすことを期待したいところだ。