どこから来たの=大門千夏=(43)

「お母さんは何しているの?」
彼はなぜか一瞬ひるんだような表情をして、それから「ファッシネーラ(家政婦)」と小さな声でつぶやいた。
「じゃあ、お父さんは?」
「知らない、いないよ」つっけんどんに答えた。
 大きくなったら何になりたいの?と聞いたらびっくりして困惑した顔をした。
 そんなことを考えたことはないのだろう。今、今日、食べることが精いっぱいなのに、つまらぬ質問をしてしまった。
 ファベーラに住んで父親の顔も知らず、学校にもゆかず、自分の食い扶持は自分で稼いでいるに違いない。
 この先ももう決まったようなものだ。どんなに頑張っても彼の人生、大して変り映えはしないだろう。私の孫と何が違うのだろうか。
 生まれた場所が違ったばかりに一生の幸せの量が違ってくる。どうしてこの子はこの環境に生まれたのだろうか。
 何年か前、私は数人の友人とサンパウロのファベーラに行ったことがある、つぎはぎの掘立小屋、猛烈な悪臭、あの非衛生。リオのファベーラも同じことにちがいない。
 子供たち用に五十数個のプレゼントの袋を三箱に分けて持って行った。この光景を見て子供達がぞろぞろとついてくる。箱を広場の台の上に置いた途端、周りにいた子供たちが我先に押し寄せてきて、箱に両手をつっこみ、つかみ取りし、そのまま逃げるようにいなくなった。
 その間一分もかからなかった。餓鬼道そのまま。唖然としたことがある。この子はそんな所に生まれ育っているのだろう。
 パステイスが来ると下を向いたまま、あわてるように汚い両手で持ってかぶりついた。そして黙々と食べて何も話さない。私も黙って食べた。
 二個目は少し落ち着いて、目の前にある唐辛子のソースをかけて…なかなか通じゃあないの、ちゃんと食べ方を知っている。
 私と目を合わせないようにして、でも笑いが込み上げそうな緩んだホホをして食べている。少なくとも今日のこの時間は幸せみたい。ありがとう、私だってそうだ。
 「人間の魂は何億年も前からずっと同じです」といった友人がいる。私の魂は何度輪廻転生してもいつも私なのだと言う。この子の魂も何億年昔から輪廻転生をしているのだろうか。
「おばちゃん、何処からきたの?」
「サンパウロよ」
「何に乗ってきたの?」
「飛行機よ」
「ワー飛行機、飛行機に乗ってきたんだあ」
 少年はとつぜん興奮したように大きな声でいい、あどけない丸い目をもっと大きくして、じっとわたしを見て、それから、飛行機かーと独り言を言った。
 私は満足だった。少なくとも今日は一人ではない。喜んでお相伴してくれる人がいた。
 お金を払いおわり振り返ると、もう彼の姿はなかった。
 外に出ると遠くコパカバーナの紺碧の海が光っている。男の子は坂道を下りながら海に向かって、まるで飛行機で飛び立って行くように両腕を真横に広げて、頭と体を右や左にゆっくり傾けながら跳ねるように走りおりてゆく姿がみえた。
 小さな飛行機はまもなく人ごみの中に消えていった。