どこから来たの=大門千夏=(48)

 でもあれから四〇年経った。
 あきらめもついたので、ある時この事を娘に話したら、言下に、「行かなくって良かったじゃあないの!」と、言うではないか。
 「ええっ。どうして 」行きたかったわーというにきまっているはずなのに。
 「ブラジルにいたから大学迄ゆけたのよ。アメリカに行っていたら私たち二人とも大学には行けてないわ。両親にとても経済的ゆとりはなかっただろうから、せいぜい高校どまりよ。その上、弟はきっとでっぷり太ったアメリカ女を嫁さんに貰っているだろうし、それから私も一〇〇㎏くらいに太っているだろうし、キャーゆかなくってよかったわよ」
 そう言われてびっくりした。へーそんな考え方もあったのか。云われてみたらそれもそうだ。
 アメリカに着いてからまともな生活ができるまでには一〇年はかかる。大学は年間三?六万ドルかかるという。親のわれわれがとても稼げる額ではなかった。高校卒業して何とか自立…というのが精いっぱい。ましてや途中で夫に死なれたら大学なんて到底無理、夢の夢だったにちがいない。
 本当にそうだ。そうなんだ。ブラジルにいたから大学も出せたのだ。娘に言われて、やっと長年のグジグジが霧散して心晴れやかになった。
 人生無理する必要はない。流れに沿って行くのもそれはそれなりに幸せが待っている。すべては「良きように」はからってくださっているのだ、と気がついた。
 最近、アメリカに住む息子の所に行った折、マンハッタンに住んでいるアメリカ人と結婚している日本女性に出会った。
 「この国は、若いときはいいけど年とって病気をしたらさいご。ものすごい医療費がかかって、蓄えなんか直ぐに吹っ飛んでしまうんです。其の点、日本は医療費が安い、老後の介護保険がある、ホームは日本人が介護してくれて、日本食があって、日本語が通じて、ここよりずっと安い所がたくさんあります。こちらは年間六万ドルもかかるんですよ。ここに住んでいる日本人はもちろんの事、ここで産まれた二世までもがみんな、年とったら日本に帰りたい、日本に住みたいと本気で願っているんです」
 また、別の夫人は、「八年前にアメリカで出産しました。普通分娩で二万ドル、これ保険に入っていた値段なの。入っていなかったらどれだけかかるかと思うとぞっとするわ。私も年取ったら日本に帰ろうと本気で考えているのよ」と真面目にそういった。
 かつてアメリカに行ったあの八家族、元気でいるのだろうか。ふと心をよぎった。
            (二〇一四年)

匂いの記憶

 子供の時から漬物が大嫌いである、と言っても食べて嫌いになったわけではない。食わずぎらい。食べた記憶がないのだ。
 他人の家におよばれに行くと、どこに行っても母は下を向いて小さい声で「すみません。この子は漬物を食べませんので…」と恥ずかしそうに気弱く話す。別に悪い事をしているわけではないのにと何時も私は不満である。どうしてこんなことになったのか誰も知らない、もちろん私も知らない。
 六歳のころ田舎の親戚の家に行ったら漬物ばかり出た。二度とあの家にはゆかないと腹を立てたことを覚えている。多分あの匂いが嫌いだったのであろう。