どこから来たの=大門千夏=(64)

 欲張り男! ケチ! ブオトコ! いじわる!…自分の財力のなさは棚に上げ、ありとあらゆる雑言を並べ、はけ口とする。悔しくて、腹が立って、何時までも物欲ならず首飾慾にとらわれて頭から離れない。いろいろな発掘品の首飾りが五〇本並べられている様を想像して涙が出るほど悔しい思いをした…いや本当は今もしているのだ。
 自分には発掘品の「首飾りを持つ」という「分」は持っていないのだと言い聞かせては見るが、あきらめられない。
 こうなると私の物欲熱は上昇して、ついにペルーにまで出かけて行った。本当にあるのかないのかこの目で見極めよう。イヤ絶対見つける!と意気込んだが、行く先々どこの町の骨董屋も「もう手に入らないよ」とすげなくいう。
 地方都市を回っていよいよブラジルに帰る直前、リマの「黄金博物館」に行った。
 何はさておき首飾りの部屋に一直線。…ああ、あるわあるわ何百本という首飾り。眼がギラギラする。頭がクラクラする。
 ケースの中に水晶、トルコ石、ヒスイ、金、クジャク石、黄鉄鉱、ウミギク貝、ソーダライトなどを使った眼もくらむような品々。古の人の神秘な首飾りの山。大きな古めかしい木枠のついたショーケースというより「ガラスのついた古箱」の中に並べてある。
 最初の内は「買えなかったあの五〇本の中にはこんなのがあったに違いない」などと感嘆し、ショーケースの上に覆いかぶさるようにしてていねいに見る。細長い窓からうっすらと陽が入ってくる。柔らかい陽に反射して首飾は生き物のように輝きを増す。どんな服に合わせていたのだろうか。
 あの頃は女性より男性の方がお洒落で、装飾品をたくさん身につけていたというから、これらは男性の首を飾ったものに違いない。ところどころ金のビーズも入っている。(インカ帝国では金を使うということは、もっぱら貴族の装身具や祭祀用品として用いられたという)
 大きな鶏卵大の水晶が並んだものまである。頭飾りをつけ、耳飾りを付け、首にはこんなのをつけて威張って歩いたのだろうか。いやハンサムな男が輿に乗って歩いていたのだ。――醜男がつけていたなんて思いたくない。
 次々と観光客が押し寄せてくる。チラリと見ただけでどんどん行ってしまう。どうしてこんな美しい物に興味がわかないの?
 古箱ショーケースは延々と続く。奥に行くほどケースは益々古びて、最後のころになると台の四本足が歪んでぐらぐらしている。首飾りは一体何百本あるのだろうか。最初は一本一本きちんと美しく並べてあったが、段々とぐちゃぐちゃに並べて、最後には何十本という塊を投げ込んで突っ込んであった。ここの館員もきっと飽きがきたに違いない。
 私だって量の多さにうんざり。足が痛くなってきた。ハンドバックさえ重く感じる。そのうち目がどんよりしてきた。
 考えてみると首飾というのは大きいか小さいか、色が違うか石が違うか、長いか短いか…手作りの千年昔の物、というだけの物――じゃあないの。夢? ロマンだって? お腹がすいてふらふらする。発掘品なんてドダイこんなもんだ。アーア、あくびが出てきた。何でこんなものに興味を持ったのだろう?
 私の持っていたあの強烈な首飾り慾はどこに行ってしまったのだろうか。わざわざペルーまで出かけてくるなんてばか丸出し。
 買いそこなった…いや「買えなかった」五〇本と、神隠しにあった二つのタカラモノは今頃どこの誰が使っているのだろうか…美しき玉は写真さえないから、かえっていろいろと想像して今でもそこはかとなく執着心が頭をよぎる。