どこから来たの=大門千夏=(77)

 文句を言うと、もう他に部屋はないという。さすがに腹が立って大声で文句を言った。するとどうだろう机の下からすっと鍵が出てきた。「この部屋は湯がでるよ」だって。知っていても苦情が出るまで知らぬ顔をしている。だから何事も常に文句を言い、大声でドナル、ガナル、ワメクと物事がスムースに行くという事がやっとわかった。こちらの顔つきが悪くなりそうです!
 景色に感動し、食事に満足し、でも人間にアキレ、おどろき、憤慨の日々。
 もう二度とこの国には来ないぞ!。
 いよいよ日本に帰る日、夕方公園に行った。少し夕焼け雲が赤く染まっている。夕涼みに人々が集まってきた。若夫婦、孫を連れたお年寄り、買い物帰りの女性。三々五々と公園のベンチに腰を下して夕涼みをしている。
 六〇歳くらいのおじさんが屋台を引っ張ってやってきた。大蒸し器にポウズ(蒸し豚饅頭)を並べて熱々を売り始めた。これはどこで買ってもおいしい。旅行の終わりにこれを食べよう。最後の思い出に。
 と言うわけで、二個買ったら日本円で八〇円だった。熱々で中にはたっぷりの肉が入っている。美味しかったので又二個買いに行った。
 そこでゼスチャーをして、とてもおいしかった事を伝えると、痩せた歯の抜けたおじさんは満面笑みを作って喜んで、それから無精ひげをちょっとさわって、ほんの数秒、頭をかしげて三〇円でいいと言った。おまけに一個余分に入れてくれた。三個で三〇円。
 えええ、安くしてくれ過ぎじゃあないの! 思わずニコニコとする私を見て、友人は、「初めから一個一〇円だったのよっ」あ、ナルホド。
 これが旅の最後を締めくくった。
 よかった。よかった。やっと良い思い出をもらった。         (二〇一二年)

二〇一二年 お正月雑感(アルゼンチン)

 去年のクリスマスから我が家に遊びに来ている息子の家族は、元旦といえど、だらしなくいつまでも寝ている。
 私は一人ベランダに出て「四方拝」をする。
 東西南北の神様に柏手を打ってご挨拶をすることで、毎年正月に父がやっていたことを、見よう見まねでするだけのことだが、我が一族が健康と繁栄をもらえるような確信を得るから、やはり正月というのは特別な日である。
 それがすむと台所の椅子に座って、正面の壁に張り付けてある南極の青い氷の写真を吸い込まれるような気持ちで見入った。光を受けて輝く氷の絶壁、青く光る氷河、どれを見ても第一級の夢の世界。
 二年前、世界最南端にあるアルゼンチンのウシュアイアという街に行った。
 南緯五五度の地点にあるこの町はアラスカから続いているハイウェーの終点でもある。一万七八四八㎞と標識が立てられている。ここは坂の多い街、常に冷たい強風が吹いている町、大自然が残っている町だ。
 ブエノス・アイレスから三二〇〇㎞もあるが、南極迄はわずか一〇〇〇㎞。
 ここから南極行きの船が出ていると聞いて、わざわざサンパウロから五〇〇〇㎞も旅をしてやってきたのに、船会社の美人のお姉さんは「今朝、南極行きは出ました」とそっけない。次の船は十日先だという。この町で十日もぶらぶらしてはおれない。何という不運。