どこから来たの=大門千夏=(85)

 高原の陽は早々と陰り暮れてゆく。空は鉛色となって寒さを増し、霧が山々を覆い、町には夕闇が迫っていた。そして風交じりの小雨が今日も容赦なく顔に当り心まで冷え冷えとして後悔自責の念がひろがって行く。もうこれで会えない。明日は出発なのだ。
 あれから一年経つ。
 「ケチな日本人!」あの子の声が聞こえてくる。
 「アイ・ノー・ハッピイ」と哀しく言ったサパの少女の瞳に溜まっていた一粒の涙を思い出す。
             (二〇一一年)

 お嬢さんのルビーのペンダント(ミャンマー)

 二〇〇八年年九月、新聞に「米国ではミャンマー産ヒスイ、ルビーを全面禁止とする新案が発効した。ティファニー社など米国の宝飾品大手はすでにミャンマー産の宝石類の仕入れを控えていたが、業界団体「全米宝石商協会」は昨年の民主化弾圧を機に取引の全面規制と立法化を議会に促してきた…」
 この記事を読んで思い出したことがある。二〇〇四年の事だ。
 ミャンマーにマンダレーと言う市がある。ここはミャンマー文化の中心地でこの国では二番目に大きな都会である。
 ここはかつて「宝石の都」と呼ばれ、王宮は「名高きエメラルドの王宮」と言われていた。しかし一八八五年第三次英ビルマ戦争の間、占領され、多くの財宝が略奪され、(この中の最もすぐれた物の一部は現在、英国のビクトリア&アルバート美術館に展示されている)その後この国はイギリスの植民地となり一九四八年、やっと独立をはたした。
 このマンダレーのホテルで吉田と言う二七?二八歳くらいだろうか、背の高い善良そうな若い日本人と知り合った。前日ガイドが連れて行ってくれた宝石屋で確かに見かけた男だ。これから王宮を観光すると言うので丁度良い、私たちは一緒に朝食を済ませると「サイカー」を雇って出かけることになった。
 これはサイドカーの略。自転車に大きめのサイドが付いていて、ここにお客さんを二人乗せることができる。
 青い空、広い道、車は少なくほとんどないと言ってもよい。たまにあるのは日本の中古車、字を消してないので○○幼稚園とか○○商事なんて書いてある。ここにはスモックもない。たまに四、五階建てのビルがあっても高層ビルはない。お坊様が赤茶色の袈裟を着て裸足で歩いておられる。(そのためか道はきれいに掃き清められて、チリ一つない)
 町の人々は民族衣装ロンジーという筒状のスカートを男も女もはいて足はゴム草履かサンダル履きで行き来している。サイカーの速度は早すぎもせず遅すぎもせず、観光案内書を読みながら話をしながら、町の風物を一つ一つゆっくり見ることができて丁度良い。
 二〇分くらいした頃、交差点で一台のオートバイが我々の横に並んで止まり、後ろに乗っていた若い女性が「日本人の方ですか」と声をかけてきた。
 「そうです」と答えると彼女はバイクから降りて我々のそばにきた。あわてて吉田君も降り私も降りた。
 美しいお嬢さん、同じ美人でもあの有名なスー・チーさんは清楚な品の良い顔立ち、こちらは小柄だが眼、口の大きな魅力的なお嬢さん。二三?二四歳だろうか、この国にきてジーパンをはいている人を見たのは初めてだ。輸入品を買えるというのは余程大金持ちか上級軍人の娘に違いない。