《サンパウロ市》リカルド氏が生きていた?=ビル火災犠牲者に旧友ら驚く

 5月1日未明にサンパウロ市中央部で起きたビル火災で、救助間際に瓦礫に飲まれて亡くなったリカルド・オリヴェイラ・ガウヴァオ・ピニェイロ氏(39)の死とその直前の映像は、サンパウロ州ソロカバ市に住んでいる旧友達に衝撃をもたらした。彼らは、ピニェイロ氏は2009年に死んでしまったと思い込んでいたからだ。
 ピニェイロ氏は2005~2009年に、同市サントアンドレ2地区にあり、現在は無人の家に住んでいた。週日はパン屋に勤めていたが、仕事がない時は自宅の車庫で子供達に空手を教え、「カラテ」という通称で知られていた。
 隣人達によると、ピニェイロ氏はソロカバの町に突然現れ、突然姿を消したという。09年に消息を絶った時、ピニェイロ氏は、勤め先のパン屋が正式に雇用登録してくれない事を不服として裁判を起こしていたが、裁判の最中に突然、行方をくらました。また、その後、同氏が亡くなったという噂もたち、裁判所も2011年1月に、「死亡したと見られる」との理由で裁判をお蔵入りさせた。
 同市在住時のピニェイロ氏は、仕事の傍ら、子供達に空手を教えていたが、週末はお姑さんと暮らしている娘に会いに行くといって家を空けていたという。
 また、普段の彼は、子供達と遊ぶだけでなく、自分が持つわずかばかりの食料を路上生活者にも分け与えるという生活をしていたという。
 旧友達はピニェイロ氏から、幼い頃に母を亡くし、路上生活もしたという話を聞いた事があるという。若い頃は空手で身を立て、大きな大会に出る事も望んでいたが、年齢と共にその夢もなえていったともいう。
 旧友達は、ピニェイロ氏が火災現場で子供達を救出した事についても、「あいつはいつも、やれる事なら何でもやってあげるタイプの奴だった。少なくとも4、5人の子供達をぶら下げるようにして連れて出たと聞いたが、あいつなら信じられるさ」と語っている。
 ピニェイロ氏から「いとこ」と呼ばれていたエベルトン・エンリッケ・サントス氏は、在りし日のピニェイロ氏の事を振り返り、「あいつは自分の命を投げ出し、最後の最後まで他人を助けようとした。それを聞き、あいつがここに座っていた時、背の高い青年がやって来て、『あなたがカラテか? 私は神様から、あなたはとても素晴らしい仕事をすると言うように命じられて来たんだ』と言ったのを思い出した」とも語っている。
 なお、警察は15日、アレッシャンドレ・デ・メネーゼス氏(40、弁護士)を行方不明者のリストに加えた。これにより、行方不明者の数は5人に増えた(16日付G1サイトより)