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県連故郷巡り=日本人ハワイ移住150周年=ホノルル・フェスタで交流=第7回=ハワイの移民の歴史が一目で

カメハメハ一世像前で、これはグループのほんの一部

カメハメハ一世像前で、これはグループのほんの一部

 ハワイ3日目の3月10日、スケジュールは変わって、この日はハワイ諸島を初めて統一して1810年にハワイ王国を建国し、初代国王となったカメハメハ大王のゆかりの地を訪ねた。
 「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」、「静かな人」の意。生まれ年もはっきりしないが、いずれにしろ北西部で幼児をすごしていて、ハワイ島の首長であったカラニオブウの甥にあたるといわれる。
 叔父の死後、その長男を倒して島内を掌握すると、イギリスから武器や軍事顧問などの援助を受け、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった。政敵が火山の噴火や外敵などにより壊滅状態になったことも統一に幸いした。
 こうしてカウアイ島、ニイハウ島を除く全地域を支配下におさめ、1810年にこの二つの島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げた。
 カメハメハ一世の大王の像は、ハワイ州内に三つあるが、最も有名なのは私たちが行ったハワイ最高裁前にある像。この像は、「キャプテン・クックによるハワイ発見100周年」を記念してイタリアで造られたが、輸送の途中海に没したため、再度造られた。
 左手の槍は平和を象徴し、掲げた右手はハワイの繁栄を表している。ちなみに像のモデルとなったのは、カメハメハ一世本人ではなく、建立当時の王であるカラカウアが宮廷の中から選んだ、特に見た目が美しい男性であったという。
 参加者が多いのでグループごとに写真を撮ることになり、故郷巡りの横断幕をひろげた。だが記念写真なのに、一行があっちを向いたりこっちを向いたりでまとまらなかった。

1909年の復元中国会館(プランテーションセンター)

1909年の復元中国会館(プランテーションセンター)

 カメハメハ一世像を後にして、少し郊外に出たハワイプランテーションビレッジに向かう。このプランテーションビレッジはワイパフ・カルチャー・ガーデン・パークにあり、ハワイへの移民の過ごした様子が建物、その中に置かれた生活用品などで良くわかる。
 ここでもグループは三つに分かれ回ることにあった。1時間は十分にかかるとのことで、準備する。歩き始めて少し行くと、道の下を潜るトンネルがある。ここがタイムトンネルと称されていて、ここからがプランテーションヴレッジの始まり、最初は移民が初めて入った茅葺の小屋、少し登ると中国人が1909年ごろに使っていたという会館、
 この建物は実際より小さいというが、中国人の移民の生活史が良く判る。近くには中国人料理館も。少し行くと1918年ころのポルトガル人の家、ほかの家では、こんな家に住んでいたとか、こんなパンを焼くかまどがあったとかいう話で盛り上がった。
 ハワイ最初の砂糖のプレンテーションは、カウアイ島のコロアで1835年のこと。このプランテーションでは、労働者に住居、食料、医療等の他に、男性は9ドル、女性は月6ドル与えられていた。労働者は名前で呼ばれず、替わりに『バンゴー』と呼ばれる金属の番号札が身分証明だったのです。
 このハワイプランテーションレッジは二十世紀のハワイで見ることができた砂糖プレンテーションの建物を再現したもので、実際のプランテーションはここよりも住居は密接し、三つ部屋の長屋の入り口が向かい合い、狭い小道が家々をめぐるといった状態だった。
 このビレッジでは1900年から30年代後半までの働いていたさまざまな国の労働者の生活を示す展示物が各国の住居におさめられている。
 プランテーションが共同体であったことから、床屋、『フロ』と呼ばれた公共浴場、ガレージ、商店、事務所、付属診療所、会議所なども再現されている。
 この構想は1976年に個人が集って始められ、最初の展示用の建物は1982年に完成。1992年には一般公開されるようになった。将来的には、プランテーションの生活に直接に触れられるプログラムにしたいと言う。
 「ブラジルにもこういう計画や施設があっても」と思われた。(つづく、伊東信比古さん寄稿)

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