提言 こうすれば活性化する?!=県人会について考えたこと=《1》=日本ブラジル中央協会常務理事 桜井悌司(2018年5月9日記)

 2004年11月から2006年3月まで、ジェトロ・サンパウロ所長として、サンパウロに駐在した。日系コロニアのイベントには、数多く参加させていただいた。そのことは、日本ブラジル中央協会のホームページの連載エッセイ11の「ブラジル文化福祉協会(文協)での人材育成セミナー」や連載80の「フェスチヴァウ・ド・ジャポン(日本祭り)のこと」にも書かせてもらった。ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)のことについては、連載80でも触れたが、その傘下にある都道府県の県人会がどのような活動を行っているのかにつき関心を持ち始め、県連のホームページやいくつかの県人会(存在するもののみ)のホームページを調べてみた。加えて、日系コロニアの方々やブラジル駐在経験者数人にも意見を求めた。アウトサイダーによる独断と偏見かも知れないが、県人会の概要と今後の活性化について提言したい。すべて個人の意見である。

▼県人会の設立年

 県人会を統括するブラジル日本都道府県人会連合会(県連)の設立年は、1966年であり、2016年には創立50周年を迎えたことになる。各県人会の設立年を調べてみると、下記のようになっている。最初に設立されたのは、鹿児島県で1913年、次いで、福島県が1917年である。
 鹿児島県も福島県も移住者が多く、必然的に早い設立になったものと思われる。1920年代には沖縄県(1926年)と、山口県(1927年)が設立された。沖縄県は最大の移住者を誇っており、最初に設立されても不思議ではないが、笠戸丸移住以降の様々な事情により、設立が遅れた。
 1930年代には、福岡県、石川県、岐阜県、北海道の4県が、1940年代には、三重県、群馬県、宮崎県の3県が設立された。かなりの歴史と伝統があることが理解できる。
 その後、1951年から55年にかけて15県、1956年から1960年にかけて16県の県人会が集中的に設立された。50年代は移住華やかなりし時期で、県知事が新規移住者の受け皿として戦前移住者に県人会の設立を奨励したと言われている。
 1961年以降は、5県となっている。県人会すべてが、県連より以前に設立されていたことが理解できよう。 

▼《0》県人会事務所の所在地区

 日系コロニアと言えば、かって日本人街と呼ばれたリベルダーデ地区やガルボン・ブエノ街を思い出すが、県人会の事務所の所在地をみると下記の表のようになっている。
 リベルダーデ地区が大多数の22県、次いでヴィラ・マリアナ地区の9県、アクリマソン地区の7県、サウーデ地区の7県となっている。所在地については、日系コロニアの居住分布からみて納得がいくが、日系コロニアの方々が、サンパウロ市の各地に分散して居住されているので、昔のような便利さが失われつつある。

▼《1》会員数・会員家族数

 県連のホームページ(2015年をベースにしている)から各県人会の会員数をみてみよう。会員数と会員家族の2つの表示があるが、下記のように分類してみた。
 会員数・家族の多い順をみると、1位が沖縄で、2500名、第2位が鹿児島で1700家族となっている。以下、長野、北海道、福岡、山口、山形、宮崎、静岡までが、500名・家族を超える。九州の県人会の会員数・家族の多いことが理解できる。
 数字上の判断であるが、やや心配なのは、200名・家族以下の県で、神奈川、徳島、宮城、滋賀、青森、千葉、東京、埼玉、京都の9県である。各県人会の内容は、十分な情報が無いのでわからないことが多いが、会員数・家族を見る限り、会員の多い県人会と多くない県人会、中間に位置する県人会に分かれている印象である。(つづく)