《ブラジル》女子テニスの女王マリア・エステル死去=世界的な偉業なした先駆者

2016年当時のエステル(©Fotojump)

2016年当時のエステル(©Fotojump)

 史上初のグランド・スラム(世界4大大会制覇)など、世界のテニス史に残る偉業を成し遂げたことでも知られる、ブラジルが生んだ女子テニスの先駆者、マリア・エステル・ブエノが8日、入院中のサンパウロ市内の病院で口腔癌のために亡くなった。78歳だった。9日付現地紙が報じている。
 1939年にサンパウロ市に生まれたエステルは、11歳のときにチエテ・クラブでテニスをはじめた。初めて国外でプレーしたのは18歳だった1957年で、1959年には早くも全英(ウィンブルドン)、全米オープンのシングルスで優勝し、世界ランキング1位になった。シングルスではウィンブルドン3回、全米4回で計7回優勝した。
 さらにダブルスでは、シングルスでは準優勝止まりだった全豪・全仏の両方で1960年に優勝。これで、世界4大大会を制するグランド・スラムを成し遂げた世界最初の選手となった。ダブルスでは、ウィンブルドンでも5回、全米でも4回優勝し、計11回の優勝を飾った。また、1960年の全仏オープンでは混合ダブルスでも優勝している。
 この強さに加え、テニスコートでの華麗な動きで人気を集め、その姿は「バイラリーナ(バレエダンサー、バレリーナ)」と称された。
 だが、これほどの偉業にも関わらず、ブラジルでの彼女はあまり注目されなかった。それはテニスのプロ選手化が、彼女がピークを超えた1968年まで遅れたこと、彼女の現役期間中はテニスが五輪競技でなかったことなどがあげられる。
 だがエステルの存在は、女子テニスがプロ化された初期のスーパースター、米国のビリー・ジーン・キングをして「自分の世代に影響を与えた存在」と言わしめるほど大きなものだった。
 エステルは1977年に引退するまで、通算で589個のタイトルを獲得。78年にはテニスの世界殿堂入りを果たした。
 エステルは以後もブラジルでテニスの普及につとめ、2016年のリオ五輪では聖火ランナーもつとめた。