伯ラジオ体操連盟40周年祝う=900人で一糸乱れず実演=慶祝団26人来伯、盛大に祝う=ラジオ体操生誕90周年記念

16日朝6時、リベルダーデ体操記念塔の前で、同体操会の皆さんと顔合わせをして元気に記念撮影

16日朝6時、リベルダーデ体操記念塔の前で、同体操会の皆さんと顔合わせをして元気に記念撮影

 ブラジル・ラジオ体操連盟(木下ジョルジ会長)は今年で創立40周年。今月17日に日本の全国ラジオ体操連盟から慶祝団26人を迎えて「第36回ラジオ体操一万人大会」と「創立40周年晩餐会」を開催した。大会には全伯の支部から900人が駆けつけ、一斉にラジオ体操をした。晩餐会では木下会長がサンパウロ市議会から名誉市民の称号を贈られるなどし、祝福ムード一色となった。

圧巻!900人のラジオ体操

900人が乱れなく整列

900人が乱れなく整列

 16日午前6時、サンパウロ市のリベルダーデ広場では、いつも通り体操をするメンバーら約40人と、前日に到着したばかりの日本からの慶祝団の顔合わせが行なわれた。リベルダーデ・ラジオ体操会の鹿又信一会長から歴史が紹介され、一緒にラジオ体操をし、ブラジル側からプレゼントが贈られ、記念撮影などをした。
 全国ラジオ体操連盟の青山敏彦理事長の話によれば、今年11月に「ラジオ体操生誕90周年」を迎えることから、日本ラジオ体操愛好会が特別に企画し、このような大規模な慶祝団が来ることになったという。
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 翌17日午前9時半からは「第36回ラジオ体操一万人大会」がチエテスポーツセンターで行われ、全伯の支部から約900人が集まった。来賓に在聖総領事館の中富瑤介(なかとみようすけ)副領事、サンパウロ市第4地区体操評議会のネルソン・レミ・ダ・シルヴァ・ジュニア会長、飯星ワルテル、安部順二両連邦下議、サンパウロ市の野村アウレリオ、羽藤ジョルジ両市議、モジ・ダス・クルーゼス市のアベ・ジュリアーノ副市長、ブラジル健康体操協会の川添敏江会長、二宮正人弁護士が出席した。

挨拶する長野副理事長

挨拶する長野副理事長

 木下会長は挨拶で「私たちはこれまでにサンパウロの文化的なイベントなどに参加し、ラジオ体操を普及し、病を防ぐための一番の薬だと伝えてきた。また、日本から指導員を招くなど日本との交流を続けてきた。これからもこの活動を精力的に行っていく」と高らかに宣言した。
 中富副領事は「日本でラジオ体操は1928年に昭和天皇の即位を祝う事業の一環として始まり、その後、学校で行うようになった。今後も日伯両国民のためにこの健康的な体操がずっと続いてほしい」と話した。
 飯星連邦下議は「40年前、両親がリベルダーデ広場のラジオ体操に参加していたのを思い出す。私も連れて行かれ、早朝から両親が体操するのを見ていた」と思い出し、「ラジオ体操は生活の質を高めるためにとても重要だ。身体だけでなく心も健康にすることに成功している」と話した。
 挨拶の後、全員でラジオ体操が行われた。赤のラインが入ったジャージやポロシャツを見に包んだ900人が、動きを指示する声とリズムに合わせて実演。ラジオ体操第一・第二のほかに、「みんなの体操」「よろこびの歌体操」「東京五輪音頭‐2020‐」、リズム健康体操「野に咲く花のように」を踊り汗を流した。

「40周年ケーキ」をカットして祝った

「40周年ケーキ」をカットして祝った

祝福ムードの晩餐会

表彰を受ける青山理事長(中央)

表彰を受ける青山理事長(中央)

 「創立40周年晩餐会」は午後7時からニッケイパレスホテルで行われた。全国ラジオ体操連盟90周年、日本移民110周年も併せて祝し華やかな雰囲気の中、執り行われた。
 晩餐会には野口泰在聖総領、ブラジル日本文化福祉協会の松尾治副会長、リベルダーデ商工会の池崎博文会長らも出席。木下会長は、野村市議の発案により市議会から名誉市民の称号を授与された。
 木下会長は「私は50歳になってラジオ体操を始めた。高齢になっても元気に過ごせることを教えてくれたラジオ体操指導者の皆さんに感謝します」と謝意を述べた。
 全国ラジオ体操連盟の青山理事長、長野信一副理事長、佐藤幸一監事らがこれまでの功績を表彰された。青山理事長は昨年の県連日本祭りのときと今回2年連続で来伯。現在81歳ながら、ブラジルへのラジオ体操普及に努め続けている。
 長野副理事長は2003年、13年に続き3回目の来伯。「ラジオ体操が地域の関係づくりに役立っている」とし、「定年後、地域に仲間がいなくて一人ぼっちになってしまう人が多い。ラジオ体操はひとつのコミュニティになる。毎朝やっていてたまに休むとメンバーが心配してくれる。心のよりどころにもなりますね」と話した。

名誉市民の称号を受ける木下会長(左)

名誉市民の称号を受ける木下会長(左)

 宮本紀美子さん(70代、二世)は長年、同連盟の会計を担当し表彰を受けた。「健康のために始めたけど、今はここの仲間と一緒にいるのが心地いい。ラジオ体操以外にピクニックに行ったりするのよ」と言う。「若いときはテニスをやっていたけど、今は無理ね。ラジオ体操は高齢でも楽しく健康に出来るからいい」と笑顔で話した。
 25年前からラジオ体操に参加している坂元悦子さん(77、三世)は「普段はポルトガル語ばかり話している。ラジオ体操のときだけ、日系の仲間と会うから日本語を話すから日本語を忘れないですむわ」と話した。

ブラジルのラジオ体操の歴史

 ラジオ体操は移民によって持ち込まれた。神戸の移民収容所で早朝に行われていたものが、航海中も継続されてブラジルに着き、広まった。サンパウロ市内では、1940年から日伯実科女学校が、その後、赤間学園が、それぞれ寮生に毎朝実施させていたという。
 戦後は記録に残っているものとして、50年にミランドポリスでを行っていたようだが、そのときはブラジル社会への普及には至らなかった。60年に日本語教師らがラジオ体操レコードの複製の許可を取り、体操の図解とともに配布したところ、全伯的に広く行き渡った。
 ブラジル・ラジオ体操連盟は、78年10月1日にリベルダーデ商工会の「体操部」として発足した。翌年、日本から東京都ラジオ体操会連盟常任理事の宮内あい先生が来伯し指導にあたった。以降、日本の指導員をブラジルに招聘し指導を仰いだり、記念式典に慶祝団として参加してもらうなど、日伯間の交流が盛んに続けられている。
 85年に「サンパウロ・ラジオ体操連盟」が結成され、91年に「ブラジル・ラジオ体操連盟」と改称された。現在、サンパウロ州のほかにマットグロッソ・ド・スル州やミナスジェライス州などに48支部あり、会員は3千人以上に上る。
 リベルダーデ広場のラジオ体操の記念塔はブラジル・ラジオ体操連盟が10周年を迎えた88年に除幕式を行った。その後、94年と96年にそれぞれサンパウロ市と州で6月18日が「ラジオ体操の日」として制定されている。
 今回36回目を迎えた「ラジオ体操一万人大会」は85年に始まった。88年と90年に2回あったが、それ以外は年に1回行われ、現在に至っている。


全国ラジオ体操連盟慶祝団員(26名)

 青山敏彦理事長、長野信一副理事長、廣島忠士理事、佐藤幸一監事、小沼(おぬま)三男マネージャー、櫻田敬子指導委員、大石美雪指導委員、斉野平良昭(さいのひらよしあき)指導士、斉野平律子さん、鈴木武男(たけお)指導士、大嶋正和(まさかず)指導士、武田洋子指導士、手塚喜子(よしこ)指導士、斉藤秀子(ひでこ)指導士、花田由美子指導士、高成田(たかなりた)和子指導士、土屋光子指導士、鈴木ルミ子さん、西川壽子(としこ)さん、脇坂昭司(しょうじ)さん、加藤敏子指導士、金子典子指導士、齋藤正路(まさみち)指導士、田中季彦(としひこ)指導士、長原一男指導士、田邉雅子指導員