自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(20)

 三月中旬の厳寒の中、素手で握り合った両手の仄かな暖かさが甦ってきた。
 さらに新京市時代の歌人の一人が、初年兵は最低だよ。そんな時思い出したら気持が落ち着くよと、餞にくれた短歌が頭に浮んだ。
  ひもじさと寒さと恋をくらべれば
   恥しながらひもじさが先
 二回口ずさんでみると、圧しつぶされそうな気持も、なんとなく和んできた。長い点呼の間に、そうしたことを思い出していると、今の絶望的な境遇をなんとしてでも乗越えねばと考えるようになった。
 飢餓と酷寒と労働のつらさは、筆舌に尽しがたい。だが俺は現実に正夢を見ている。すでにそのうちの二つの夢は現実となっているんだ。最後の夢=父母のもとに生還=は、まだ実現していない。だからどんなことがあっても、絶対に生きて帰れるんだ。絶対に死なないぞと奮いたった。

  一五、二名脱走す

 寝付かれないまま、戦友と話していると衛兵所の方向が騒がしく、軍用犬が鋭く吠えたてている。と、宿舎の入口が乱暴に開けられて、カンボーイが三人懐中電灯を照らしながら飛び込んできた。銃をかまえている。一人は入口に立っていた。
 軍用犬の吠え声が激しい。銃声が数発暗夜をつらぬいて轟いた。
 宿舎に入ってきたカンボーイが叫んだ。
「テンコ、テンコ」
 殺気立っている。
 脱走したようだな、小声で話ながら、狭い部屋の中に整列し、人員点呼を受けた。長い時間をかけて人数を確かめたあと、カンボーイは何も言わないで去った。
 翌朝、第二棟の兵二人が脱走を試みたが、いくらも逃げないうちに発見され、射殺されたことが分った。
 射殺しなくてもよいものをと、私たちはソ連兵の残酷さを憎んだ。
 脱走をしても地理は不案内、着衣は夏物。想像を絶する酷寒、携行食料は皆無、しかも衰え切った体力しかない。たとえ逃げることができても、待ち受けているのは凍死だけである。
 ならば殺さなくても、連れ戻せばよいものを………。
 私も何度か脱走計画を練った。そしてその度に実行を中止した。理由は先程書いた通りである。
 射殺された二人は、衛兵所の脇の通路を這って脱出したらしい。通路は五列縦隊が同時に通過できるように、柵で仕切り五つに分けてある。
 衛兵所の内部に薄暗い電灯が一コぶらさがっているだけで、寒さのため窓は閉じている。この明かりは通路の端まで届かない。
 二人はその端を這って脱出したものの、軍用犬が吠えて脱走が分かり、忽ち追いつかれて射殺された。
 以後脱走を試みたものはいなかった。

  一六、伐採

   一、天地の差
 一〇月末、伐採要員二五名の募集が、収容所側から提示された。「行け」ではなく「募集」である。