平野植民地=眞子さま、マラリア犠牲者に祈り=泣き崩れた老夫人をご抱擁=開拓先没者への最高の供養に

慰霊之碑に深々と祈りを捧げられた眞子さま

慰霊之碑に深々と祈りを捧げられた眞子さま

 【カフェランジア発=大澤航平記者】1915年、入植僅か半年で80人以上もの日本人がマラリアで次々と斃れていった、血と汗と涙が滲む開拓の上に拓かれたカフェランジアの平野植民地――23日午前、そこにご到着された眞子さまは、見渡す限りの砂糖黍畑が広がり開拓の名残をとどめる「開拓先没者慰霊之碑」の前に立たれ、深々と頭を垂れて鎮魂の祈りを捧げられた。その姿を見て、感極まって泣き崩れた地元のご婦人を、眞子さまは優しく抱きしめられた。すると村民の間にみるみる感激の輪が広がった。

 午前10時頃、砂糖黍畑を車でお通りになり、純白のスーツ姿で慰霊碑に到着された。同地在住の川市清美さん(64、三世)からこの地で起きた悲劇について3分間ほど説明を受け、沈痛な面持ちで話を聞かれた。
 慰霊之碑が立つ第一ブロックは、米作のために入植者が川沿いに住居を構え、マラリアの犠牲者が次々に出た〃開拓の原点〃だ。
 リンス西本願寺の岡山智浄住職(83)によれば、戦後46年に慰霊之碑が建造される以前には、牧草地帯となっており、その場所にはブラジル人牧場主の家が建っていた。同住職いわく、「その牧場主は昼夜を問わず、女子供の泣き声が何処からともなく聞こえてきていた。『なんでここに連れてこられたの?』とすすり泣く女性の声を聴いていた」という。
 その後、「同ブロックに埋没していた遺骨を収集、慰霊之碑に一カ所に納めてから泣き声がぴたりと止まったんです」と同住職は語る。
 眞子さまは慰霊之碑に花束を捧げ、開拓先没者の御霊に祈られた。その様子を感激の面持ちで見守っていた村民一人一人の手を、眞子さまは優しく両手で包み込み、声をかけられた。その一人、森部静代さん(68、三世=カフェランジア在住)は感極まって泣き崩れてしまった。
 眞子さまはそれを見て、森部さんを優しく抱きしめられた。「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」――そう声をかけながら寄り添われ、森部さんが落ち着くまでじっと抱きしめられた。
 森部さんは「なんとお優しいおかた。声をかけて頂けるなんて、ただただ涙がでて。抱きしめて頂けるなんて夢にも思わなかった」と呆然とした様子。眞子さまは最後に「どうかお元気でいてください」と声をかけられたという。

眞子さまのご訪問を記念し、除幕された記念碑

眞子さまのご訪問を記念し、除幕された記念碑

 会館で村民や子孫、元村民など260人に熱烈に歓迎された眞子さまは、移民110周年記念碑の除幕式に臨まれた。そこでも、腰を屈めて一人一人に握手を求められた。
 眞子さまは、植物に遮られて少し離れた場所にいる村人にも自ら手を伸ばし、随員が「お気をつけください」と声をかけても、「大丈夫ですよ」とご返答をされ、身を乗り出して握手に応じられていた。
 重松一雄さん(69、三世)は「ここは父母が育ち、私が生まれた地。小さい頃に村を出たけれども、いつも平野運平先生の話を聞いて育ってきた」という。来年は平野運平没後百周年の節目を迎える。重松さんは「苦労して志半ばで亡くなられた平野先生、そして先没者にとって今日は最高の供養になったはず。天国で皆が喜んでいますよ」と目に涙を浮かべ、笑顔を見せていた。

 

 

眞子さまご歓迎の後、敬老会では70歳以上の12人が表彰された(提供=平野農村文化体育協会)

眞子さまご歓迎の後、敬老会では70歳以上の12人が表彰された(提供=平野農村文化体育協会)