自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(23)

 想像した通り、彼は樵の監督であった。厚い荒削りの大きなテーブルを前にして、笑顔の彼は座れと手真似をした。そして縁の缺けた湯呑を四つ並べ、缶から茶の葉を一つまみづつ入れて熱湯を注いだ。それから棚の壷をおろし、中から白い粒をつかみだすと、湯呑のそばに五粒づつおいて勧めてくれた。
 白い小粒は岩塩だった。岩塩をカリカリと噛み、熱い茶を口に含むとほどよい塩味が口中にひろがった。彼は深鍋から切身を取り出し、一切れづつくれた。鱈であった。
 手真似、身振りに片言のロシア語をまじえる会話は、抑留されて張りつめ放しの緊張をほど良くほぐしてくれた。彼は私たち一人一人に、母親はいるかと訊ねた。
「いる」
 と、言うと、しんみりとした表情を浮かべ、
「…………トウキョウ、ダモイ………」
 と、うっすら目を赤くした。多分、元気で帰国し待っている母さんを喜ばしてやれよ、という感じであった。彼の母もどこか遠く離れているのだろうか。
 数日後、監督は半日の仕事の薪割りに私を指名してきた。大男の樵が相棒である。手近かの薪材を選び、中央めがけて力一杯斧を打ちこんだ。斧は薪材に筋をつけただけである。数回斧を打ちこんだが、斧は喰いこむかわりに、筋をつけるだけであった。
 大男の相棒が傍にきて私の肩をたたいた。私を後にさげると、お手本を見せてくれた。薪材の外側を削ぐように斧を打ちこむのである。それを割り取ると、少し体をずらし、割り取った角に打ちこむ。丁度三角形に薪を造る。私がなんとか割るのを見届けた彼は、ニコッと笑顔になり自分の作業に戻った。
 私が一本目を割り終えた時、相棒の樵は二本目をすませ一息いれていた。彼が何か言ったが聞きとれない。解らないと頭を横に振る。傍にきた彼は身振りで私の胸襟と片袖を掴み、私にも彼の胸襟と片袖をつかました。
 彼は分ったかというように、上から私を見下ろした。相撲か柔道か分からないが、そんなことをして遊ぼうということらしい。中学時代、剣道部に入り二段になっていて、心得の一つとして柔道の基本を習っていた。
 うなずくと、私を薪置場の外側に連れ出した。そして、さあ、という感じで、両手を前に突き出しお互いに胸襟と片袖をつかんだ。彼の肩当りに私の頭がある。組み合ったものの相手が大きくてどうしてよいか見当がつかない。が、咄嗟に彼を押して半歩前に出た。不意をつかれた様子の彼は、おやという感じで後に下がったが、すぐに押し返してきた。それに合わせて一歩下がると、また押してきた。
 その左の出足を右足で払った。あっけなく彼は雪の上に倒れた。起き上がった彼は、少し首をかしげて、人差指をたてた。もう一回やろうということらしい。
 前回と同じように組んだが、彼からの動きはない。私は下から彼を突き上げる形で強く押した。下がりかけ踏みとどまった彼は、強烈に押し返してきた。
 一歩、二歩と強く押してきた。下がりながら体を左に開くと、彼の巨体はそのまま私の腰にのしかかった。掴んでいる襟を上に突きあげ、左手で握っている袖を力一杯引くと同時に、腰を撥ねあげた。巨体が私の腰を軸にして一回転し、どさっと雪の上に落ちた。