眞子さまご訪問は何をもたらすか

手を伸ばし、腰を屈めて握手を求められた眞子さま

手を伸ばし、腰を屈めて握手を求められた眞子さま

 宮内庁は8日、「ブラジルご訪問を終えてのご印象」として、眞子さまのお言葉をサイト上で公開した。10日間で5州14都市をご訪問されたなかでも、我々にとって最も感動的だったのは、皇族として初めてご訪問された平野植民地での出来事ではないか▼初期移民がマラリアで次々と斃れていった開拓の原点たる慰霊碑の前で、眞子さまが深々と頭を垂れて鎮魂の祈りを捧げられた姿を見て、老婦人が泣き崩れた。眞子さまはその老婦人を抱きしめられ、ただただ優しく「大丈夫、大丈夫ですよ――」とそっとお声かけされた▼それを見て思い出したのが、00年にオランダのとある養護学校をご訪問された皇后陛下のことだ。この時、天皇皇后両陛下の歓迎のため張り切り過ぎて机に伏せたまま眠ってしまった地元の少女をご覧になり、皇后陛下は起こすのは気の毒だと少女を眠ったままにされた。歓迎式典が終わり、それに気付いて泣きながら駆け寄ってきた少女を、皇后陛下は優しく抱きしめられた。その光景は、先の大戦による反日感情が残存していたオランダにおいて、多くの蘭国民の心を打ったという▼いまだ開拓地の名残をとどめ、見渡す限りの砂糖黍畑のなかにポツンと立っている慰霊碑。その前で泣き崩れた老婦人を優しく抱擁された眞子さま。その現場を目撃したコラム子としては、慈愛に満ちたそのおすがたは、前述の皇后陛下の逸話とぴたり重なった▼平野植民地で眞子さまと会話を交わした山下薫ファビオ会長(49、三世)によれば、「平野運平氏の伝記『森の夢 平野運平と平野植民地の物語(醍醐麻沙夫著)』を拝読しました」とお声かけ頂いたという。「それを聞いて大変驚きました。私の祖父は平野氏と共に初期に入植したうちの一人ですが、その伝記を書いた醍醐氏は、祖父の家に2週間ほど泊まり込みで取材をしていたからです。眞子さまは、移民史を大変勉強されて臨まれていらっしゃったのだと推察し、至極感激しました」と証言する▼眞子さまは、まだ大学在学中であった2011年の東日本大震災後、まだ傷跡深く瓦礫の残る岩手県山田町や大槌町、宮城県の石巻市をご訪問され、皇族としてのご身分を隠して子供たちの心のケアにあたられたとも聞く。人々の耐え難い悲しみや苦しみに深く思いを致し、その心に寄り添われているからこそ、泣き崩れた老婦人の心情を慮り、とっさに抱擁されたのだろう▼こうした眞子さまのお心に触れて癒しを得た人々が、世代継承に向けた意志を次々と語り、各地日系社会にさらなる絆を生んでいる▼エキスポ移民110を初開催したパラナ州マリンガーでは、3日間で延べ10万人近くが訪問したといわれる。規模こそ県連日本祭りを下回るが、郷土食部分を除けばさほど遜色ない祭を実現した。その裏では若者が主体となって運営を支えた。西森ルイス連邦下議員は「120年は彼らに任せられる」と自信を見せている。60年振りの皇族ご訪問で地域一丸となって眞子さまをお迎えしたノロエステでも、勝負抗争で分裂していたプロミッソン二団体がこれをきっかけに統合に向けた歩みを始めている▼今回のご訪問を終え、眞子さまは次のようにお気持ちを述べられている。〈この歴史が、未来を担う世代にも大切に引き継がれていきますことを願います。これからも、日系社会の皆さまがお元気で末永く活躍され、日系社会が一層発展しますよう、また今後とも日本とブラジルが寄り添える関係でありますよう、そして、両国の友好関係がますます深まりますよう、願っております〉▼移民110周年はどこの地域においても、次世代継承が共通の課題となっていたはず。サンパウロ市110周年委員会では総括として、シンポジュームを開催する予定とも聞く。在外同胞社会に深く思いを寄せ、日系社会の行く先を見守ってくださる眞子さまのお言葉を今一度振り返りつつ、次なる120周年に向けて日系社会の未来をしっかりと考える年にしたい。(航)