特別寄稿=散り際の美学==サンパウロ市在住 脇田 勅

(3)三番目は一般からの寄付になる。ここで考えられるのは、サンパウロに行ったことのある県出身の芸能人によるチャリティーコンサートを開催すること。『瀬戸の花嫁』のヒット曲を持つ小柳ルミ子には、わたしの前の県人会長がサンパウロ公演の舞台上で花束を渡している。また、海援隊を率いて『贈る言葉』のヒット曲で有名な武田鉄矢は、サンパウロでわたしが各訪問先を案内している。その縁で〝ブラジル福岡県人会新会館建設チャリティーコンサート〟と銘打って、この二人の歌手で興行。
 場所は大相撲九州場所が行われる福岡国際センター。うまく行けばこの一日の興行で五千万円ぐらいの収益が出るだろう。このコンサートの件を二人の事務所と交渉してもラチがあかないので、西日本新聞社主催とする。そのためには福田社長にお願いすること。
 以上で大体二億円の目途がつく。これが世に言う〝とらぬ狸の皮算用〟というもの。
(4)東京では県出身の国会議員に会って、ブラジル県人会の現状を説明し、新会館建設に理解を求め、協力をお願いすること。
(5)ブラジルに行った県議会議員は二十人以上いるはずなので、できるだけ多くの議員に会って、補助金についての協力を要請すること。
 以上の結論に基づいて、私は翌日から早速行動を開始しました。まず、西日本新聞社の福田社長を訪問しました。そして亀井知事から大変よい返事をもらったことを報告し、「今から新会館建設に向かって全力で取り組んでいきますので、どうか社長のご指導とご協力をよろしくお願いします」と申し上げました。
 福田社長からは「脇田さん、あんたがやるならわたしも出来るだけ協力するから頑張ってください」と激励の言葉をもらい、先輩はありがたいものだと、痛切にこの言葉が身に沁みました。続いて二億円の資金調達計画を説明して、武田鉄矢と小柳ルミ子のチャリティーコンサートの主催をお願いしたところ、
「やりましょう」と即断即決でした。わたしはこの即座の決定に、実力社長の片りんを見る思いがしました。
 福田社長は「あんたは財界から寄付を仰ぐということですが、それには九経連の瓦林会長にお願いしなくてはなりません。わたしは近日中に会長に会うことになっているので、その折にあんたの話をしておきましょう。瓦林会長も二年前にわたしたちと一緒にブラジルに行かれた人で、県人会のことも理解してもらえると思いますよ」との話を聞いて、福田社長の配慮に頭の下がる思いがすると同時に、もしかしたら瓦林会長にお会いすることが出来るかもしれないという希望が湧いてきました。
 それから四、五日後に、西日本新聞社から翌日の午後二時に来社するようにと連絡がありました。翌日の二時に新聞社に行きますと、福田社長は早速「新会館建設の件は瓦林会長に話しておきました。助けてもらえると思いますよ。あんたが会長に面会する時間は午後三時になっているので、今から九経連会館に行って、瓦林会長に直接お願いをしてきなさい。会長は大変忙しい人だから、あんたは会っても何も説明する必要はありません。〝よろしくお願い申し上げます〟と頭を下げて来なさい」との説明を受けました。
 このようにわたしの用件を説明してもらい、その上に誰でも簡単に会うことのできない瓦林会長に会う段取りまで手配していただき、重ねがさねのご高配に対して、福田社長に深々と頭を下げて心からお礼を申し上げました。
 三時に九経連会館に着き、秘書にわたしの名刺を渡しました。わたしは二年前にサンパウロで瓦林会長とお会いしていますので、初対面ではありません。案内された応接室で待っていますと会長が来られたので、福田社長に言われたとおり何も説明せず、ただ最敬礼して「新会館建設の件をよろしくお願い申し上げます」とだけ申し上げました。
 会長は「話は福田君から聞きました。やんなっせ、応援しますばい」という、ありがたい言葉をもらいました。この言葉を聞いた瞬間、五千万円が頭をよぎりました。これこそまさに千金の重みのある言葉でした。秘書がもう次の用件を伝えに来ましたので、再度最敬礼をして退室しました。この間ニ、三分。偉い人と会うのはこんなものだろうと実感しました。
 翌日は東京へ飛びました。(つづく)