散り際の美学=サンパウロ市在住 脇田 勅(ときお)=

 東京では最初に福岡県出身の遠藤政夫参議院議員を大蔵政務次官室に訪ねました。そして、ブラジル県人会の現状説明と、新会館建設の補助金を母県に申請したので協力をお願いして快諾を得ました。
 次は山崎拓代議士を事務所に訪ねました。山崎氏は後に防衛庁長官、建設大臣、自民党幹事長、そして自民党副総裁などを歴任した実力者でした。山崎氏は前年サンパウロに来られ、狭い県人会館で歓迎会をしていましたので、新会館建設の必要性もよく分かってもらいました。また前年の初対面のとき、わたしが大学の七年先輩であることが分かっていましたので、「先輩の脇田さんがやられるなら全力で応援しますよ」との言葉をもらいました。
 わたしの日本滞在が予定をオーバーしていましたので、東京での協力依頼は今回はこの二人だけにして福岡に帰りました。福岡では県議会議員、福岡市長、福岡市議会議員その他への協力依頼がありますが、これは次回に青写真を持参してきた時に回して、ブラジルに帰ることにしました。
 帰る前に、わたしが福岡到着以来、親身になって県人会の新会館建設について助言や指導などで大変お世話になった深江社長と小島会長と夕食を共にしました。この二人にはわたしの行動について逐一電話で報告はしておりましたが、改めてこの席で総括をしました。二人はわたしの活躍は自分たちの期待以上の大成功だと喜んでくれて、前祝いの乾杯をしました。
 小島会長の「県の補助金、財界の協力、チャリティーコンサートの開催と、二億円調達の三本柱すべての根回しに成功されたので、新会館はもう建ったようなもんですばい」との言葉に大笑いしました。
 続けて「新会館落成式典には、海外移住家族会で慶祝使節団を連れて参加します。鏡割り用の酒だるも用意して持っていきます」と、早くも落成式の話になってしまいました。「チャリティーコンサートのときには、脇田さん、あんたは福岡に来て舞台の上で挨拶せにゃいかんですばい」と。
 深江社長は「脇田さん、あんたが次に青写真を持って来られたときには、県議会議員や福岡市議会議員その他への協力依頼で走り回らなくてはならんので、あんたに車一台用意しておきます。連絡場所として、うちの会社の中にあんたの机と専用電話を置きますので使ってください」と、大変ありがたい申し出を受けて感激しました。
 わたしはこの二人とお別れする前に、これまでの親身に優るお世話に心から謝意を申し上げ、今後のご協力をお願いしました。そして最後に再び乾杯を交わし、再会を約して散会しました。
 福岡を去る前、県の総務部長を訪ね帰国の挨拶をして、「次回は青写真を持ってきますので、よろしくお願いします」と述べました。
 次に、大学の、そして近所の後輩であるわたしに、度重なるご高配とご支援を惜しまれなかった西日本新聞社の福田社長にも帰国の挨拶に行きました。わたしは「身に余るほどのお心遣いとご支援をいただき、お礼の言葉もありません」と申し上げました。
 福田社長は「県人会長が二世、三世の代になったら、新会館建設は無理でしょう。わたしも協力しますから、あんたが会長のときに立派な会館を建てなさい。元気で頑張りなさいよ」と、励ましの言葉をいただきました。後輩に対する先輩の優しい思いやりが身に沁みた言葉でした。
 訪日目的の急変によって、予定より遅れて一月末にブラジルに帰ってきました。そして、二月初めの定例理事会で、訪日の報告をしました。まず、わたしの訪日の目的が県庁への会長就任挨拶から、県人会の新会館建設のため二億円の補助金申請に変わったいきさつを説明して、理解を求めました。
 まず、亀井知事から「検討しますから青写真を持ってきてください」と返事をもらったことに、一同大喜びしました。(つづく)