自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(46)

 (後年ブラジルに移住し、サンパウロ州ピエダーデ郡に小農場を構えた当初、丘下の小川で水を汲んでは、中腹の住居まで運ぶ日がしばらく続いた。急坂を三〇〇m余りも運べる水の量は限られていた。井戸が完成するまで、シベリアで見たあの光景を思い出し、夕方の仕事をおえると、コップ一杯の水で上半身を拭いた。
 これは潔癖症の家内に、ひどく嫌われた。臭いというのである。次の日、引越荷物と一緒に持ってきたドラム缶を、小川の傍に据えて入浴することになった)
 次の日の停車時、用便のために貨車を降りて場所を探した。貨車の下は用便客で満員である。最後尾の貨車の下は、白衣の女軍医五人が占領していた。彼女たちは輪になって、各自外を向いて蹲っている。なんだろうと近寄ると、その中の一人が、腕を曲げて上下させた。「カーク カーク ダー」(こんなになるか)と、言って、彼女らは声をあげて笑った。
 よくよく眺めると、輪の中にいる一人が、白い尻を出して用を足していた。開けっ広げな彼女らは、禁欲状態に置かれている捕虜の一人の私をからかっていたのだ。
 病人用薄粥給与で食欲はすさまじいが、飢餓状態の栄養失調症では去勢された動物同然で、女医の裸の尻を見ても、何の感情も湧かなかった。
 ところが、女医の中に見覚えのある顔があった。名ばかりのモルドイ村の病院に派遣されてきた三人の女医のうち、なぜこれほどの不器量に生れたのだろうと、感嘆したお喋り女医がいた。なつかしかった。思わず声をかけようとしたが、どのように言葉をかけてよいか分からない。そのまま通り過ぎ、彼女たちの笑い声を聞きながら草陰を探した。
 列車は東へ東へと走りつづける。平原を通り抜けると、まだ芽吹かない森林の間を縫うように進んだ。真っ黒い大きな動物が、列車と平行しながら、しなやかに冬枯れの森林を駆け抜け、やがて森の奥に姿を消した。
 一分一秒毎に日本へ近付いている現実に、行き先を告げられていないのにも拘わらず、漠然と帰還を想像していた。やつれていた戦友も、気力がもどってきたらしく、声や動作に張りが出てきた。
 復員後読んだシベリア鉄道距離表によると、チタ=ハバロフスク間は、二三二七㎞である。

  一八、ハバロフスク

 乗車後、食事、用便のための停車は、全て駅ではなかった。太陽が高く上がった頃、大きな駅の引込み線に入って列車が停まった。前後を見回したが、カンボーイ(監視兵)の姿は見当たらない。警戒は次第にゆるくなってきた。みんなの水筒を肩にかけたり、手にぶらさげて大きな建物に近付いたとき、ソ連兵三人が左側から現れた。咎める様子はない。水筒を見せて、
「ワダ」(水)
 と、言うと、蛇口がある場所へ案内してくれた。
「スパシーボ」(ありがとう)
 礼を言うと、ニコッと笑って去った。水を満たした水筒を各自に渡し、別方向の大きい建物へ近付いてみる。その横を通り抜けると線路があり、その向こうに長いプラットホームが見えた。駅舎は二階建てである。プラットホームの端を通り過ぎると、駅舎の前は大きな広場になっていた。中央辺りに大きな男の全身像が、高い台座の上に立ち、駅舎に背を向けていた。