還暦迎えた「こどものその」=障がい者養護貫き続けて60年=長谷川良信師が前身を設立

長谷川良信師

長谷川良信師

 社会福祉法人こどものその(頃末アンドレ理事長)は今年、創立60周年を迎えた。知的障がいを持った日本人移民の子供たち13人の受け入れに始まり、現在では園生の高齢化に伴って必要なケアが変りつつある。創立から現在に至るまでの足跡を辿った。

 ブラジルに渡った日本移民は、結婚し新たに家庭を築いて子供をもうけた。中には知的障がいを持って生まれた子もいて、親たちは途方に暮れた。その子を世話しながら働かなくてはならず、不安を抱いていた。
「こどものその」の前身は58年9月1日、南米浄土宗日伯寺を開教した長谷川良信(はせがわ・りょうしん)師によって発足した。長谷川師は前年3月から滞伯していて、長男の長谷川良昭(はせがわよしあき)と、青年開教使の佐々木陽明(ささきようめい)、西本尊方(にしもとそんぽ)を随行していた。
 同寺内の日伯寺学園に特別養護治療教育部を設け、13人の園生を迎え入れた。彼らが職業的素養を身につけることを目指し、商店での商品の袋詰めと運搬、ベッドメイキング、掃除などの単純作業を教えた。
 同月20日、市川幸子(いちかわこうこ)氏を日本から招聘。市川氏は5年にわたって働き発展に尽くしたが、63年には重度の知的障がいをもつ子供を受け入れる福祉団体「希望の家」を別に設立した。

広々とした前庭を持つ本棟

広々とした前庭を持つ本棟

 59年3月、養鶏業を営んでいた井口吉三郎氏により寄贈された聖市イタケーラ区の敷地に移転し、「こどものその」に改称。イタケーラ日系クラブや他の日系団体がボランティアで木の伐採や建設工事に協力した。園が面した道路は長谷川師を顕彰して「プロフェッソール・ハセガワ通り」と名づけられた。
 佐々木開教師が園長になり、程なくして長谷川師の長男・良昭が代理を務めたが、61年2月に勉学のために帰国。後任として吉田亘(よしだわたる)氏が赴任し園生たちの教育面だけでなく、財政や教職員の管理も担当した。
 59年12月に理事会が発足し、初代会長に大河内辰夫(おおこうちたつお)氏が就任。外交担当を担った西本開教使が聖州、パラナ州、マットグロッソ州の奥地を訪ね、説明会を開催し会員を募集した。1100会員が集まり、60年から寄付会員制を設立した。この制度は現在も続いている。
 61年以降、食堂棟、洗濯場、倉庫、修理場などが次々に整備されていった。63年に購入した土地には養鶏場が造られ、鶏の排泄物を利用して有機肥料を作る小工場も設置された。若い園生たちの実習に用いられ、社会奉仕活動をする誇りを与えた。

元気な園生たち

元気な園生たち

 66年には川内秀夫氏により新車のバンが寄付された。それ以前、園には車が無く、採れた野菜を自転車やスクーターの荷台に載せて市場まで運搬していた。川内氏は各地を巡回しながら映画を上映し、その稼ぎを貯金して車の購入に充てたという。
 79年には陶芸作業場が設置され、以降、園の看板となる活動として定着した。能力ある男子園生数人が陶芸品の制作にあたり、秀逸な出来栄えで、日系社会のみならずブラジル社会でも高評価を受けている。作品は生産数が限られているため、購入の注文が後を絶たない状況になっている。
 一方、女子園生は清掃、食後のテーブルの後始末、食器洗い、衣服の洗濯やアイロンがけ、裁縫や刺繍、絵画・アクセサリー作りなど、家庭的な活動を学んでいる。園生の生活は看護補助員がモニターなどを使って見守っていて、心理療法士、教育士、言語聴覚療士、看護士、栄養士などの専門家が指導監督を務めている。

園生の職業的素養を育てる=多方面からの支援で存続

フェスタ・ジュニーナで農夫に扮した園生

フェスタ・ジュニーナで農夫に扮した園生

「こどものその」は聖市イタケーラ区に2カ所あり、ひとつは「ジャルジン(日本語で「園」の意)」と呼ばれ、「こどものその」の本部にあたる。プロフィッソール・ハセガワ(長谷川師)通り1198番に所在し、事務所、会議所、講堂、資料館に加え、女子寮、陶芸作業場がある。
 2カ所目は「C.T.E.」と呼ばれる実習センターで、ヨネジ・マツバヤシ通り1324番に所在する。男子寮があり、多くの男子園生は1日をここで過ごし、畑での作業などにあたる。環境的理由により、肥料は15年ほど前に生産停止となり、養鶏場はサンパウロ州衛生局の要請で2012年に閉鎖した。
 園生たちはバザーで販売するために寄贈された家具の汚れを落とし、サンドペーパーをかけたり、ニスを塗ったりといった単純作業を行っている。また、特技のある園生は、雑貨を製造するために「ジャルジン」にある陶芸作業場に通っている。
 2016年度の経費総額は476万レアルで、1日当たりだと1万3千レアルに達する。園の創立から60年が経ち、当時10歳の子供も今では68歳となった。園生の高齢化に伴い、適した食事の提供、車椅子使用でのスロープ、手摺り、滑り止め床などバリアフリー設備の整備の必要性が高まっている。
 収入項目は保護者からの寄付、会員からの寄付、日本政府からの援助、バザーなど諸イベントの収益などが上げられる。寄付は大手多国籍企業から奥地の在住者まで様々な団体・個人から受けていて、金銭のほかに、品物、設備、医療などの活動など有形・無形問わず多岐にわたる。日本政府からは補助金やJICAシニアボランティアの派遣などの支援を得ていて、これらの協力者があって「こどものその」が存続し続けている。
 また、96年に購入したセルケイラ・セーザル市の農場は2016年に100万レアルで売却した。寄付金だけでは賄いきれない分を、売却して得た資金で補填している。

議会や本部で記念行事開催=大乗淑徳学園理事長ら8人来伯

 社会福祉法人こどものそのは創立60周年記念し、功績者への感謝状贈呈式、講演会、記念式典を21日から23日まで開催する。日本からは、創立者・長谷川良心師の息子で大乗淑徳学園の長谷川匡俊理事長ら8人が来伯し、「還暦」をともに祝う。
 21日はサンパウロ市議会大講堂で、サンパウロ市議会から「こどものその」に多大な貢献をした法人4つと個人2人への感謝状の贈呈式を行う。
 22日はイタケーラ本部で講演会を行う。講演は左記の2つ。「こどものその60周年の歩み」(講演者:こどものその)、「他人を援助する実践基盤」(講演者:米村美奈 淑徳大学総合福祉学部社会福祉学科教授)。
 23日はイタケーラ本部で60周年記念式典を開催する。式典には、大乗淑徳学園から長谷川理事長をはじめ、教授、職員ら6人が出席。また東京品川ロータリークラブの代表者、坂田貞夫夫妻も出席する。

「こどものその」の園生たち

課外活動に参加した園生たち

課外活動に参加した園生たち

 園生は自立した学習や社会生活が困難なため、他者の援助を必要としている。原因としてダウン症候群などの先天性疾患や、骨膜炎や何らかの事故によって脳が影響を受けた後天性疾患などがある。
 医学の進歩にもかかわらず、今日までそれらの治癒法は見つかっていない。園生それぞれに異なる身体的、精神的、社会的能力をもち、性格円満で社交的な者、やや攻撃的な者、あるいは内気な者といったように性格も様々だ。
 園内では、各園児の障がいをよく理解した職員が、適切な養護に励んでいる。現在、園生たちは皆成人し、園を自分たちの本当の住まいだと思っている。クリスマスや新年に家族の元へ帰っても、園を恋しく思うと話している。
 園生は日本人、日系二世、三世、非日系の男女を合わせて71人。非日系の園生が次第に増えてきており、現在では20%を占めている。

こどものその理事会

理事長 頃末アンドレ
第一副理事長  小田セルジオ
第二副理事長 岡本エリーザ
第三副理事長 安田アンドレ
第四副理事長 真野栄介
第五副理事長 カイオ・セーザル・カルロス・フェレイラ
第一会計理事 青山ルイス
第二会計理事 三隅剛志
第一書記理事 荒木リエーネ
第二書記理事 松本ヂアーナ
監督理事  岡本ルイス