PLゴルフクラブ50周年祝う=欠かせない駐在員の社交の場=天野理事長「ブラジル最高目指す!」

乾杯では「よいしょ~」と雄々しい掛け声が上がった

乾杯では「よいしょ~」と雄々しい掛け声が上がった

 アルジャー市の社団法人「PLゴルフクラブ」(天野一郎理事長)は、今年で「開場50周年」を迎えた。日系駐在員が自由にプレーできるゴルフ場としてPL(パーフェクト・リバティー)教団により創設された同クラブは、半世紀の間に27ホールを備えるサンパウロ州でも最大規模のクラブの一つに発展してきた。1965年に創設されたコロニア最古のアルジャー・ゴルフクラブに対し、日系駐在員向けに発展してきた同クラブは、今もなお、駐在員社会から〃社交の場〃として親しまれている。

クラブ入口の外観(提供・PLゴルフクラブ)

クラブ入口の外観(提供・PLゴルフクラブ)

地元太鼓チームの演奏により華やかに開幕

地元太鼓チームの演奏により華やかに開幕

 16日、同クラブは「開場50周年記念大会」を開催した。同クラブ主催のコンペとしては、過去最大規模となる延べ約200人の会員が参加した。
 今大会は3コース、27ホール全てを利用して実施。参加者は3、4人のチームに分けられ、団体戦で競った。晴天に恵まれ、見晴らしのよい豊かな自然のなか、参加者はプレーに汗を流した。
 コンペは正午過ぎに終了し、地元太鼓チームの演奏で記念式典が幕開け。式典には、天野理事長、PL教団の森口一美教区長、日系ゴルフ連盟の近沢宗貴会長、パウリスタゴルフ連盟のマウロ・バチスタ会長、ゼ・ルイース・モンテイロ市長、野口泰在聖総領事ほか、複数の同市議らが出席した。
 挨拶した天野理事長は「半世紀を迎えられたのは、皆様のご協力の賜物。次なる50年に向けて、ブラジルにおいて最高位のクラブとなるように、会員の皆様と共に尽力していきたい」と協力を仰いだ。
 森口教区長は同クラブ設立の経緯に触れ、「歴代市長、ゴルフ連盟、評議員の皆様の多大なる尽力に加え、会員の皆様のご愛顧があったからこそ半世紀を迎えられた」と謝意を滲ませた。

真剣な眼差しでショットを決めた参加者

真剣な眼差しでショットを決めた参加者

 近沢会長は「リオ五輪でゴルフが正式種目となり、若者の関心を惹起している。そんななかPLゴルフクラブは常に最前線に立ち若者への普及の道を切り開くのみならず、ブラジルの技術向上に大きく寄与してきた」と賞賛した。
 モンテイロ市長は「市がゴルフの町として知られているのは、このクラブのおかげ。当地のスポーツ、社会の発展を支える重要な存在」と強調し、野口総領事も「ここに集い親睦を深めるなかで、日系社会の連帯強化に繋がってきた」と賛辞を送った。
 その後、市議会から同クラブに対して、顕彰プレートを授与。昼食会では、今大会の結果発表ならびに表彰が行なわれたほか、創立当時からの会員に対して、記念品が贈呈された。

 

PL教団がゴルフ場を造営!=27ホール完備、州内最大級

コスタ・エ・シウバ大統領夫妻臨席のもと開場式が行われた(提供・PLゴルフクラブ)

コスタ・エ・シウバ大統領夫妻臨席のもと開場式が行われた(提供・PLゴルフクラブ)

 1950年代後半からの日本企業進出の本格化に伴い、ゴルフブームの影響を受けた駐在員間で、当地においても社交の場としてゴルフが親しまれていた。当時、駐在員や日系人は伊系のサンフランシスコ・ゴルフクラブを利用していたが、入会条件の厳しい規制の上、日系人中心のコンペが多くなったため制限を求められるなど、肩身の狭い思いをしていた。
 そんななか、邦人向けゴルフ場建設の要望の高まりを受けて、サンパウロ日本商工会議所の広川郁三会頭(当時)が、来伯中だったPL教団の御木徳近第二代教主にゴルフ場の建設を懇願。これがきっかけとなり同教団は同市に20平方キロメートルの土地を購入、その一部にゴルフ場が建設された。
 66年4月から建設が開始され、工事にあたっては同教団から大型土木機械、人員、資材等が投入された。2年間の突貫工事を経て、68年4月に同教団ゴルフクラブとしてオープン。隣接する同教団の聖地よりも一足早く完成した。なお、落成式にはコスタ・エ・シウバ大統領夫妻や200人の来賓出席のもとで催されたという。

27ホールを有するゴルフ場

27ホールを有するゴルフ場

 開場当時は18ホールだったが、発足以来会員数も年々増加。500人を越えて手狭となったため、9ホールの造成が企画され、27ホールまで拡大。その後もより良いゴルフ場を目指し大改造が行われ、設備改装、近代化が行われてきた。
 同クラブは75年に社団法人に改組し、現在に至る。会員は400人でその7割近くを駐在員が占める。そのため、レストランには日本食、ロッカールームには風呂やサウナ付きと充実した設備に加え、スタッフも日本語対応が可能となっている。

突貫工事! 半世紀前の秘話=教団青年部が手作業で礫除去

50年通いつめている平松夫妻

50年通いつめている平松夫妻

 PLゴルフ場は急峻な丘陵地帯に位置する。建設は突貫工事で行われ、ブルドーザーで表土を剥ぎ取る大胆なものであったため、礫の多い地層が露出し、開場当時には石が散乱していたほどだった。
 創立当初からの会員で、ゴルフ歴60年という平松幸夫さん(84、愛知県)によれば「クラブでボールを叩いたときに、その下にある石を叩いて、火花が出ることもありましたよ」と往時を懐かしむ。
 そんな散乱していた礫を手作業で一つ一つ取り除いたのが、同教団青年部だった。「青年らが横一列に並んで隈なく歩き、袋をもって石ころを拾っていた。今楽しくゴルフができるのも、信者の皆さんのおかげですよ」と話す。
 平松さんは、会社員時代から年100回近くゴルフ場に通っており、現在もゴルフ三昧の生活を送っている。
 「サンパウロ市とゴルフ場は往復で100キロ。50年間で5千回は来ているので50万キロ、つまり、地球を12周は廻っている計算になる」と笑い飛ばし、「ゴルフのお陰で健康に過ごせている。それもゴルフ場を作ってくれたPL教団のおかげ。足を向けて寝られませんよ」と手を合わせていた。

昼食会で親睦を深めた会員ら

昼食会で親睦を深めた会員ら

大会結果

大会結果