日伯友好病院=発展一路で30周年迎え=今年末、第4病棟の定礎式=最新機材を続々と導入=空港、高速道事故の訓練も

山下忠男前副会長が音頭をとって乾杯

山下忠男前副会長が音頭をとって乾杯

 30病床の小規模病院から、244病床の地域の模範となる医療機関へ――サンパウロ日伯援護協会(与儀明雄会長)が運営する「日伯友好病院」が今年30周年を迎えたことから、記念式典が22日午前、同病院6階の山本恵一講堂で100人余りの関係者や来賓を迎えて盛大に行われた。天内ワルテル院長は30年間の歩みを振り返る講演の中で、「今年中に第4病棟建設の定礎式をする予定」と明らかにし、さらなる発展を期待させた。

日伯友好病院の玄関部分

日伯友好病院の玄関部分

 同病院は移民80周年記念事業としてコロニアが総力を挙げて募金活動を繰り広げ、30病床、手術数40回(年間)、従業員120人の小規模病院として1988年に始まった。神内良一氏らの支援を受けて徐々に病棟を増築、日本国政府の援助もあって設備を刷新してきた。現在では244病床、手術数2万322回、従業員1636人という地域を代表する模範病院になった。
 式典はまず神内良一氏を初め、竹中正氏、原沢和男氏、和井武一氏、森口忠義イグナシオ氏など歴代会長ら貢献の大きかった故人に黙祷が捧げられた。
 与儀会長は挨拶で「故人となった功労者はもちろん、理事の皆さん、職員、医師、取引先、職員、利用者の皆の全てに感謝したい」と謝辞を述べた。歴史を振り返る5分のビデオが上映された後、天内院長が現状を説明する講演をした。「三つの高速道路が近くを通り、グアルーリョス国際空港まで車で15分という地理的観点から、各種事故を想定した緊急時訓練を重ねている」との有事の準備態勢を強調し、日本政府やJICAの協力で次々に導入

されている最新機材について説明した。

挨拶する与儀会長

挨拶する与儀会長

 来賓の野口泰在聖総領事らに続いて、文協会長代理の西尾ロベルト副会長が演台に立ち、「南米銀行に勤めていた30年前、この病院のイナウグラソンがあったことを昨日のように思い出す。そして20年前、母がこの病院に入院して亡くなった。あの時、やれる処置をして頂いたと感謝している」と語った。
 医師団代表の熊谷(くまがい)カルロス・アルベルト・健司医師長が「皆さんお元気で、10年後に40周年を祝いましょう」と威勢よく挨拶し、職員と看護師を代表して渡辺葉子マダレーナさんが「病院の成長を内側から見てきた。色んなことが変わった。この病院は我々の人生の一部」との想いを述懐した。

顕彰を受けたや竹中家の皆さん

顕彰を受けたや竹中家の皆さん

 顕彰として神内氏、竹中氏、和井氏ら故人への感謝状と記念品が遺族に渡され、菊地義治前会長、尾西貞夫前副会長、山下忠男前副会長、創立時からの医師や職員の代表に記念品が渡された。
 式の後、竹中正氏の娘ムツさん(73、三世)に感想を聞くと「父は13歳で移住し、いつもコロニアの手伝いをしてほとんど家にいなかった。次の月命日にお墓参りする時、この顕彰を頂いたと報告するつもり。きっと喜んでくれるでしょう」とほほ笑んた。

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 日伯友好病院30周年の会場となった講堂の名前は、富山大学名誉教授の山本恵一氏からとっている。同病院の医師・看護師等の訪日研修を企画実行し、私費支援を08年に至るまで行い、これまで十数人の訪日研修を実現したという恩人であり、それに報いるために2015年1月に命名した。日伯友好病院が今のような立派な病院に発展する影には、いろいろな功労者がいる。名を残すような人ばかりでなく、病院建設時に〃貧者の一灯〃を寄付した人、ボランティアで床を磨いたり、建設を手伝った無名の人は数限りない。そんな人々の期待を裏切ることがないよう、今後もしっかりと気を引き締めて「生活に困った移民が尊厳ある最後を迎えるための救済活動」にも、さらに力を入れて欲しいところか。