「樹海」拡大版=大統領選の候補陣営を隔てる〃バカの壁〃

ボルソナロ大統領候補(foto: Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

ボルソナロ大統領候補(foto: Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

 「人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。理解できない相手を、人は互いにバカだと思う」――ベストセラー『バカの壁』(2003年、養老孟司著、新潮社)には、そう書かれている。帯には「『話せば分かる』なんて大ウソ!」、広告には「バカの壁は誰にでもある」という著者の言葉も。
 人には「知っている」という強い思い込みがある。自分が知っていると思い込んでいる「壁の内側」だけで世界を認識しており、「壁の向こう側」が見えない、認識できないことがある。人によっては「壁の向こうに別の世界があるとすら思っていない」という現状がある。そんな理解の限界を、解剖学者の養老孟司は「バカの壁」と呼ぶ。
 同書の紹介文には、こうある。《我々人間は、自分の脳に入ることしか理解できない。学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。著者は、この状態を指して「バカの壁」と表現する。知りたくないことは自主的に情報を遮断し、耳を貸さないというのも「バカの壁」の一種。その延長線上には民族間の戦争やテロがあるという。
 現代人はいつの間にか、自分の周りに様々な「壁」を作ってしまった。例えば、情報は日々刻々変化し続け、それを受け止める人間は変化しないという思い込みや、個性や独創性を礼賛する風潮などはその典型例で、実態とは「あべこべ」だという。
 「バカの壁」は思考停止を招く。安易に「わかる」「絶対の真実がある」と思い込んでは、強固な「壁」の中に住むことになると戒めている》

ハダジ大統領候補(Ricardo Stuckert)

ハダジ大統領候補(Ricardo Stuckert)

 言い方を替えれば、人は自分の理解力の範囲内でしか、目の前に起きていることを認識できない。たとえ、目の前で〃事件〃が起きていても、AさんとBさんでは解釈が異なる。見る人によって、まったく別の解釈が一つの出来事に関して起きてしまう。
 「バカの壁」は今のブラジルの大統領選を巡る選挙情勢を言い当てる言葉に思えてならない。ボルソナロ、PT各陣営は、お互いに「絶対の真実が自分にある」と思い込んで強固な「壁」の中に住んでいる。
 いや、米国のトランプ陣営と民主党勢力もそうかもしれない。ルーラ信者もしかり。マスコミがどんな批判や汚職疑惑を報道しても、どんなスキャンダルが湧き出しても、支持層は自分の考えを変えない。

▼本物の殺人映像が選挙宣伝で使われる意味

軍警のカチア・サストレ氏が連邦下議候補の選挙運動に使っている映像(https://goo.gl/J795F8)

軍警のカチア・サストレ氏が連邦下議候補の選挙運動に使っている映像(https://goo.gl/J795F8)

 毎日、TV選挙放送を見せられながら、良くも悪くも、これは「今のブラジルの縮図だ」と痛感させられる。見ていて一番〃痛い〃映像は、文句なしに連邦下議候補のカチア・サストレ氏のもの(https://goo.gl/J795F8)だ。
 今年5月13日朝8時、スザノ市の学校の前で校門が開くのを待っていた母親や子供を、ピストルを持った強盗が襲った。その母親の中に、私服姿の軍警伍長(カーボ)のサストレ氏がおり、即座に強盗を撃った。強盗は銃弾を受けて倒れ込む。彼女は銃口を向けたまま「銃を放しなさい!」「後ろ向きになって手を上に!」と続けざまに命令し、強盗が手放した銃を確保する。
 学校の防犯カメラだろうか。そんな生々しい現場映像が事件直後からネットに出回っていた。その強盗は病院に運ばれたが死亡。正当防衛とは言え、殺人映像そのものだ。それがボカシもかけられずに、子供も見られる時間に選挙放送として堂々とテレビに流れている。
 「いまどきゲームや映画やテレビ番組などで人を殺す映像などありふれている」という声もある。だが、映画のような作り物ではなく、本物の殺人映像が選挙キャンペーンで使われているのは、世界でも珍しいのではないか。ブラジルの治安問題の深刻さを象徴的に表す現実だ。
 『人の命は地球より重い』などと首相が言う国で育ったコラム子にとっては、この映像のショックは大きい。この言葉は、1977年に起きた日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件の時、犯行グループが高額の身代金と服役中の過激派解放などを要求した際に、時の福田赳夫首相が言った言葉だ。
 日本では「性善説」が一般的で、どんな悪人でも刑務所で再教育されれば回心できると信じられている部分がある。興味深いことに、それにも関わらず死刑がある。現行犯でも犯人が現場で撃ち殺されることがなく、容疑者はみな裁判を受けて20年、30年もかけて上告、控訴の末にようやく死刑になる。それでも死刑制度に批判がある。
 ブラジルは「性悪説」の国だから根本的に考え方が違う。犯罪者を再教育して真っ当な人間にする試みは奨励されるが、更生する確率が高くないことは暗黙の了解だ。だから面倒な裁判などにかけず、現場で警察が現行犯としてバンバン殺す。現行犯で殺す分には、サストレ氏のように英雄扱いを受ける。にもかかわらず「残酷だ」といって死刑はない。
 日伯のこの相違点は、まことに対照的だ
 2016年11月2日付コレイオ・ブラジリエンセ紙(https://goo.gl/FvwSRP)によれば、ダッタ・フォーリャ社の調査で、ブラジル国民の60%が「bandido bom ・bandido morto」(良い悪党は、死んだ悪党だ)という言葉に賛成している。国民の66%は「強盗に襲われて死ぬ恐怖を感じている」と答えているからだ。だから「警官が『悪党を殺す』ことは善である」ことが常識となる。
 サストレ氏には事件直後から称賛が集まっていた。マルシオ・フランササンパウロ州知事は事件の起きた日が「母の日」だったので、「軍警の母」として彼女を顕彰するセレモニーまで行った。その流れで共和党(PR)から連邦下議立候補にいたった。
 同党は「50万票獲得は固い」と踏んでいると5月29日付エスタード紙が報じている。党によるが、10万票余りあれば当選確実と言われる。同党泡沫候補を3人ほど道連れに当選させられる得票の多さだ。だが、まっとうに考えれば、彼女は軍警下士官の中でも一番下の伍長であり、何の政治経験もない。それが強盗を射ち殺した人気だけで祭り上げられる構図に、ボルソナロ人気と同じ選挙体質を感じる。

▼チリリッカは当選するべきか?

チリリッカ候補の選挙映像(https://goo.gl/seqsqH)

チリリッカ候補の選挙映像(https://goo.gl/seqsqH)

 おなじPRには、あの道化連邦下議のチリリッカがいる。
 2010年10月の選挙では、なんと134万8千票という最多得票を獲得した。彼に投票した有権者は、本物の「パリャッソ」(ピエロ)を連邦議会に送り込むことで、政界の茶番劇振りを批判する〃批判票〃の気持ちを込めていた。
 ところがピエロのはずのチリリッカは、最も議会出席率が高い〃真面目な政治家〃に化け、「下界のパリャッソですら政界では真面目な部類に入る」と揶揄された。チリリッカはペトロロン汚職が次々に暴かれている昨年、政界はヒドイと憤慨し「議会は金の亡者ばかり。右翼、左翼の問題じゃない。オデブレヒト社のリストは、両側に泥棒がいると証明した。来年の選挙では大掃除をすべき」と実に真っ当なことを書いた「国民への手紙」を公表した。
 その後「もう政界には絶望した。次の選挙には出ない」とクソ真面目に公言までしていた。
 にもかかわらず、今回の政見放送(https://goo.gl/seqsqH)で「誰が戻って来たか分かる~? ボクだよ、チリリッカだよ~。アナタをだましたんだよ~」と堂々とやったのを見て、開いた口がふさがらなかった。
 議会ではクソ面白くない顔をしている彼が、選挙の時だけピエロに戻る。今回もフザケまくった宣伝映像を連発だ。「普通の政治家は選挙の時だけ真面目ぶって、当選したら議会でパリャッソになる。だが、チリリッカは逆」との声が聞こえる。
 PRはこの二人のおかげで大躍進するかもしれない。日本でも芸能人、スポーツ選手が政治家になる例は多いが、この二人ほど尖った特徴を持つ候補は珍しい。ブラジルの〃お国柄〃を良く現しているのでは。

▼人気だけで当選する脆弱な大統領制度

 大統領選挙の方も、制度の脆弱性が明らかだ。議会にしっかりとした基盤のない候補が大統領になったら、どうやって法案を連邦議会で通すのか。安定的な議会運営ができるのか。コロルの時もそうだったが、いずれ罷免されて終わるかも…。たった8人しか下議がいないPSLのボルソナロがトップ独走を続ける様子からは、そのような後先を考えない有権者の意識が伺える。
 決選投票で勝ち馬に乗ろうと寄って来た大型政党が、結局は彼を操るようになるのかもしれない。
 民主主義の問題点の一つは、良くも悪くも、有権者の一票が全てを左右するという点だ。つまり、国民の倫理観や社会問題の理解度が低く、候補者の経歴や実力をしっかりと評価する力が弱いと、安易な人気投票に陥りがちだ。
 その結果が、大統領選の支持率そのものではないか。なんの政権的な基礎も持たないボルソナロが独走を続け、ルーラ人気を引き継いだだけのハダジが猛烈な追い上げをし、少々理屈が難しい戦略投票はさほど増えない。
 ハダジ、ボルソナロ両陣営を支持する層は、まったくお互いのことを理解しようとしない。お互いに思考停止状態になっている気がする。つまり、高い、高い〃バカの壁〃がそびえている。
 こうして今のままの選挙状勢が続けば、7割がたPT政権が戻る公算が高い。もちろん、まだ最後の大逆転劇も怒る可能性は残されているが…。

▼「難しい選挙」だからこそ日系候補を

 現状から断言できる数少ないことの一つは、「ブラジル国民の多くは汚職を悪いと思っていない」ことだ。そこに日系政治家が増える意味があるのではないか。少しでもブラジル政界に倫理観を持ち込み、左派でも極右思想でもない中道的なありかた、中庸思想を政治的に広めることが、日系人の役割だと思う。
 どの日系候補に聞いても「有権者はみんな、政治家は汚職まみれだから、誰にも投票したくないと考えている。今回の選挙は難しい」と口をそろえる。でも、そんな今だからこそ、日系候補をより多く当選させることが政界に信頼感を取り戻すキッカケになるのではないか。
 たくさんの日系政治家が生まれれば、そこから切磋琢磨して、大統領になれそうな器もいずれ出てくるだろう。
 一般的には「ブラジルが良くならないのは政治家が悪いから」という他人事のような声を聞くが、後先を考えずにそんな政治家を選んだ有権者の方にこそ本当の原因がある。このことは、もっとしっかりと認識されてもいい。とはいえ、その〃認識の壁〃こそが問題なのだが…。(深)