池坊ブラジル支部50周年祝う=「美と和」モットーに仲良く=独自の花材活かして発f展

会場入り口のテープカットの様子

会場入り口のテープカットの様子

 池坊ブラジル支部(河村徳子支部長)は日本移民110周年と、支部創立50周年を記念した「記念花展」開幕式を21日午後7時半、会場となるニッケイパラセホテル別館で行なった。日本からは池坊中央研修学院の森部隆教授が4度目の来伯をし、各地でセミナーを開いたほか、23日までの花展でデモンストレーションも行った。南米支部、橘支部、南米パラナ支部が合同で花展に参加した。

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 まず入り口でテープカットが行われ、70瓶の生け花の作品が飾られた華やかな会場に来場者100人余りが足を踏み入れると、ムッっとするほどの濃密な花の匂いが漂った。
 式典で河村支部長は、「会員が心を合わせて今日の作品を仕上げた。50周年のモットーは『美と和』。この二つをもって仲良く、美しく活動を続けていきたい」と強調した。来賓の裏千家の林まどかさんに続いて、菊地義治110周年実行委員長が「笠戸丸移民が来た頃は、日本文化がこんなに普及するとは誰も想像していなかった。これも皆さんが日々研鑽し、広める努力を積み重ねてきてくれたおかげ」と称賛した。

乾杯の様子

乾杯の様子

 在サンパウロ総領事館の平野恭子副領事は「他の国であれば日本政府が率先してやるべき、日本文化の象徴たる花展だが、ブラジルでは民間の皆さんが主体となってやってくださり、本当にありがたい」と語った。リベルダーデ文化福祉協会の池崎博文会長が乾杯の音頭をとり、集まった生け花関係者は旧交を温めた。
 10年前から華道を習っているという来場者の芟花(かるか)恵子さん(64、三世)は、「華道を始めてから花をよく観察するようになった。どんなふうに生けるか想像したり。それが楽しい。でも正風体とか新風体とかスタイルを憶えるのが大変」と笑った。
 パウリスタ新聞やサンパウロ新聞で長年記者をしていた田中敬吾さんは「50年前に創立した時から河村さんのことをよく知っている。よく50年続いたものだ。お嬢さんのリーナさんが日本で勉強してきた。跡継ぎとして頑張ってほしい」と応援のメッセージを贈った。
 森部教授にブラジルの生け花の特徴を尋ねると「日本だとワビサビを意識して渋い色使いが多いが、ブラジルのは線に大らかさがあり、色遣いがあかるい。新風体によって独自の花材が活かされている」と表現し、「70周年、100周年に向けてさらなる発展を」とエールを送った。

作品を出品した皆さん

作品を出品した皆さん

■ひとマチ点描■今も進化する生け花

森部隆教授とその出品作品

森部隆教授とその出品作品

 来伯した池坊中央研修所の森部隆教授(66、福岡県出身)に「どうして華道を志したのですか?」と尋ねると、「祖父の代から職業として華道をやっているんです。ですから私も父からそれを継ぎました」とのこと。生粋の華道教師だ。
「でも実は、子供の頃は華道をやっていることが恥ずかしかった。自転車の荷台に花材を積んでいる時に、たまたま同級生に会ったりすると、恥ずかしくてこっそり花を捨てたりしてました」と笑う。
 昔からの伝統的なスタイル「正風体」(しょうふうたい)にはルールがたくさんあり、それだとブラジル独自の花材が活かせない部分があった。
 現代の日本の暮らしに適応する新たな生花として1977年に当時の家元池坊専永が、「生花(しょうか)新風体」を発表した。従来の正風体の型に収まりきらない草木の美を表現できるようになった。さらに1999年に今の四十五世池坊専永が「立花新風体」を作って発表し、世界中の花材が活かせる形になったのだという。
 世界から様々な花材が日本に輸入される時代になり、時代の要請に応える形で作られたスタイルだという。「この新風体が生まれてからブラジルでも飛躍的に発展した。だから、ここに展示されているものはほとんど新風体なんです」と会場を指さした。
 世界各地に花を生ける習慣、文化がある。その中でも、日本の生け花は今も進化を続けていると実感させられる50周年だった。(深)