臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(3)

第1章
航海中の惨事

 肌をさす冷たい突風がふいて、正輝はブルンと身震いしたが、その冷たさが快くもあった。三ヵ月たってはじめて目にする広い空だった。雲ひとつ見あたらない。すがすがしい青色は、故郷の冬晴れの空を思わせた。
「もしかしたら、こっちはあっちとあまり違わないかもしれない」と考えた。
 船旅のあいだ暗い船底で、ぎゅうぎゅう詰めにされた人間の体臭ではなくいまは潮の香を嗅ぐことができる。日は昇っているが、周囲が暑くなるほどの気温ではない。数時間ばかりまえの暁には10度で寒かった。温度はまだ15度まで上がってはいない。最高でも18度にはならないだろう。
 しかし、日が射して自然が彼らを歓迎しているようにみえた。当然のことだ。
 少なくともこの歓迎は当たり前だ。船旅はひどいものだったのだから。終わりがないように災難がつぎつぎに襲ってきた旅だった。
 家財道具をまとめ、船底をあとに下船する許可がおりたとき、貨物室からまたひとり病人がハンモックで運ばれていった。
「でも、病人はみんなシンガポールで死んだはずなのに」と正輝は思った。
 船旅という冒険の終局を象徴するように、ある者たちは他の人より先に上陸するという運命にあったのだ。病人は船からまっすぐ病院に運ばれ、大部分の人間はそこからまた墓地にいった。こうして、死者の統計グラフは痛ましいほど上昇したのである。

 しかし、とにかく最悪の状態はきり抜けたことで自信ができ、勇気がわいてきた。正輝はよい日和の上陸は幸先がいいと考え、これから始まる新しい人生の門出にふさわしい日だと思った。
 新しい生活のために持参した荷物は少なかった。そして、それは満足できる品物ではなかった。家でふだん着ていた沖縄の着物を捨てるのはつらかったから、着物を二枚もってきた。できればそれを着たかったし、古くなれば新しいのを縫うときの型紙にできるというものだ。船旅中、お気に入りでいちばんよく着たから、もってきただけの甲斐があったというわけだ。
 いや、もっといいことだってあるかもしれない。こちらの生活はみなが話しているようにそんなに変わったヘンな生活ではないかもしれない。着物の生活をつづけられるかもしれない。
 はじめてみた新しい世界が彼に希望を与えた。船の甲板から眺める海は少なくともあの故郷の海と同じだった。
 四ヵ月ほど前、那覇の港で父母と涙の別れをしたときから、着物を着ることなど二度とないといわれつづけた。長旅がはじまる神戸の移民収容所の大きな待合室で何枚かの洋服が支給された。洋服については最後の何年間、熱心に通った学校を通して知ってはいた。しかし、気に入らなかった。着心地がわるかったからだ。荷物のなかに入れてはきたが、それは強要されたからだ。ブラジルでは洋服を着るといい聞かされていたから、文句などいえなかった。しかし、下船するときは、その服は着なかった。何年か前、西洋スタイルをモデルに作られた学校の制服のほうを選んだ。帽子も忘れなかった。
「オレはもう大人なんだ」