臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(11)

 船中では足や腕を動かすだけで、隣の人の足や腕にぶつかってしまった。いま、汽車のなかではもうすこしで、牛叔母さんの顔に当るところまで思い切り体を伸ばし、何回もあくびをした。闇がおりて景色が消えた。一本調子にくり返される音、単調な旅、そして、心地よい揺れが彼を眠りにさそっていった。
 父母のこと、幼いころのこと、それから帰途についている自分を夢に見、悲しみのうちに目を覚ました。この悲しみを克服するには相当の時間を要したものだ。わずか、13歳半の子どもだったが、汽車が海岸山脈を上っていくにつれて、希望がふくらんでいった。しかし、同時に、疑問も膨らんでいた。
「どうして、いま、自分は家からこんなに遠いところにいるのだろう?」
 夢は疑問のあらわれでもあった。その疑問にたいする答えを少年正輝はずっと、探していくことになる。

第2章   馬、女、酒…

 天気のよい日、この場所から地平線の向こうに目をやると、エメラルド色に輝く太平洋を眺めることができる。新城(あらぐすく)の村のいちばん高いところ、千代子の家から100メートルほど離れたそこで、沖縄島のあちこちをみせながら、千代子はマサユキと話していた。彼らがいるところから2キロほど近くの浜辺に、有名な港川の石灰岩がある。
 それは何年か前に化石人骨が発見されたところで、港川人と命名された。沖縄に最古の人類が存在したことを証拠づけるものだった。千代子は下のほうにある彼女の家のさき、港川の反対方向を指さして、そこは別の村で新城と同じく島の南部の具志頭(ぐしちゃん)そん;村に属するのだと説明した。
 この新城からマサユキの父正輝の物語ははじまった。
 父がサントスに下船してからちょうど60年の月日が流れている。マサユキは父が子どものときから抱いてきた疑問の回答を、今では彼自身のものになっているその答えをもとめてそこに立っていた。

 なぜ、父は移住したのか?
 そのころ、家族はどのような生活を送っていたのか?

 マサユキは千代子の夫である従兄弟の昇に会うためブラジルからやってきた。それが家族の義務だと感じていたのだ。
 ずっとむかし、昇の父、保久原哲夫は長男(正輝の長兄)として、島に直属の子孫を残すという大きな責務を負って沖縄にとどまった。南米への移住により家系が二分されてしまうからだ。その残った哲夫が死亡し、二十五年ほどまえ、長男である昇が家督を継承した。今後も、それが次々に長男にひき継がれていくだろう。
 マサユキは一度も沖縄の土を踏んだことはなく、一方、昇はブラジルを知らない。しかし、二、三日前に会ったばかりなのに、旧知のように思ってしまう。お互いに感じる親近感。親しくて濃密な感情は初対面のときからあり、不思議な気がした。
 マサユキは沖縄の県庁所在地である那覇の空港ロビーで、すぐ昇に気がついた。まるで、弟のハキオを見ているようなのだ。ハキオは昇と同年生まれで、わずか数日ちがうだけだ。あまりにも似ているので、昇のことがより身近に感じられた。