臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(12)

 だが、彼らがまるでいっしょに育ったように感じられる原因がほかにもあった。それは一族の歴史を二人が共有していること。父方の祖父の孫というおなじ血を引く者同士だから当然なことだ。さらに二人を強く結びつけたのはコミュニケーションの容易さだ。沖縄語のウチナーグチで会話ができるという僥倖だった。
 さいしょ、空港での昇とマサユキの態度はまったくよそよそしく、初対面同士の儀礼的な挨拶をかわしたのだったが、挨拶のあと昇は途方にくれて千代子に、
「正幸さんと何語で話したらいいのだろう」
とウチナーグチで聞いた。
 すぐに答えを返してきたのは千代子ではなく、ブラジルからきた人だった。
「ワンネー ウチナーグチ ワカインドー」(わたしは沖縄方言をはなします)
 夫婦はびっくりした。
「どこでそんな言葉を習ったんですか?」
「うちで…」
「ブラジルではいまだに沖縄弁を使うんですか?」
 昇がたたみこむように聞いた。マサユキはうちでは生まれたときから聞いている。だから聞くのは問題ないが、スラスラ話せない。さらに昇と千代子が子どもたちと話す先祖の地、新城方言もわかると答えた。
 昇はそれをきいて喜びに胸をなでおろした。遠路はるばる従兄弟がやってくるという話しを数ヵ月前、手紙をうけとった伯母から聞かされていたが、疑問があった。疑問というより、それは危惧に近い。訪問の日が近づくにつれて、心配の種が大きくなっていった。
「どうやって話し合ったらいいのだろう?」
 つい最近、昇は父のいとこ(マサユキの父の従兄弟)ヨシアキを迎えてうれしい経験をしたが、同時ににがい体験もしている。ブラジル生まれの、ごく近い縁戚のものが初めて訪ねてきてくれたのだ。ところが、お互いにいっしょうけんめい話し合おうとしても、会話にならない。ヨシアキは日本語も沖縄弁も使えなかったのだ。彼が島に滞在中、昇はどれだけ外国語が話せたらよかっただろう思ったことか。だから、もうすぐやってくる従兄弟のために英語を習おうかと、やり始めたのだが、時間もなく、しかもこんなに年をとっていてはむりだとあきらめたところだった。

 あの日、千代子はマサユキに東の太平洋の方を指さし、そしてすぐ、南に向き、大きく虹のように半円を描きながら、沖縄弁でいった。
「ウレー ムル イッター ムン ヤタンドー(ここは、あなたたちのものだった)」
 彼女が示した土地全部が、ある時期にはマサユキ、昇の家族が所有していたのだというが、全体でどのぐらいあったか想像もつかない。千代子のジェスチャーからすると決して小さな土地ではなかったろう。

 沖縄はいつも貧しかった。歴史的に非常に貧しかった。もし、裕福だといわれる沖縄人がいるとすれば、それは他の土地、たとえば沖縄以外の日本あるいは外国での話だ。もっとも、いまは時代が変わり、はじめて出会った二人の従兄弟は、沖縄の大多数の住民よりは恵まれた生活を送っている。所有地が大きいことばかりではない。保久原という名字が他との違いをしめしているのだ。島民のほとんどの名字は漢字二つからなるが、保久原の場合、三つの漢字である。保久原家は貴族の出だという。