授かったこの身体を使い切る=高齢化社会・日本の就労事情=働けるうちは喜んでいつまでも=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

 去る十一月半ば、日本への一時帰国に際して、一人のイタリア系移民の三世で、生粋のブラジル人女医が同行した。初めての日本旅行ということで、日本国内の数カ所を案内することにした。ブラジル人の日本好きはよく知られているが、彼女もそれなりに情報を集め、服装にも気をつけ、ちょっとした心付けのためのチョコレートなども用意し、旅支度を整えていた。
 そしていよいよ、50代半ばにしての彼女の日本旅行が始まった。

日本への印象「この国は別の惑星…」

回転寿司を堪能する高齢者の健啖家(参考写真)

回転寿司を堪能する高齢者の健啖家(参考写真)

 日本はどこを歩いても通路、道路、歩道、地下道は段差が無く、カラフルなタイルが敷き詰められている。路上は常に掃き浄められ、ゴミ一つ落ちていない。公共の乗り物での制服姿の乗務員の徹底した礼儀良さ。公共の場での携帯電話での通話はマナーモードに設定されて、大声で喋りまくる人はいない。レストラン、デパート、スーパーでの販売員の対応は、恐れいるほど丁寧だ。
 デパート全館に溢れる品質の良い様々な商品。裕福な高齢者向けのカッコいいファッション、レジャー好きの中高年用のプロ級の製品の数々。特に地下食品街の絶品食品の数々、実際に経験した新鮮な回転寿司、食堂ウィンドウを飾る本物そっくりの食品サンプル…挙げればきりがない。
 日本人にとっては見慣れているこの風景が、外国人にとって強烈な第一印象で、「この国は別の惑星…」に感じたようだった。

驚きの「ハレとケ」の文化

 カルチャーショックの続きは日本人の高齢者に肥満がほとんど見られないということや、またその服装の良さにもあった。
 世界的にも日本人の身だしなみの良さは評判がよいようであるが、それは文化に根差したものであろう。
 柳田國男(民俗学者・官僚)が、日本人の伝統的な世界観の一つに「ハレとケ」という言葉を用いた。
 ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。折り目・節目を正す「ハレの場」における衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケ「普段」の場合とは、はっきりと区別した。
 1603年にイエズス会が刊行した『日葡辞書』には、「ハレ」は「Fare」と表記され、「表立ったこと、または、人々がたくさん集まった所」と説明され、「ケ」は「Qe」と表記され、「普通の、または、日常の(もの)」と説明されている。(wikipedia)
 古き時代と現代では、多少の簡素化や変化の流れはあるとしても、この伝統は廃れていない。
 訪日した十一月は、寺院仏閣で七五三祝の行事や、秋を愛でる様々な行事たけなわであった。彼女はいたるところで老若男女の端正な服装、幼児の可愛らしい着物姿に嬌声をあげて、呼び止めては写真を撮りまくっていた。
 また、通りすがりの斎場で目にしたのも、驚きだった。それは法事に参列する人々が、黒一色の礼服に身を包み、端然として法事等に出席している姿であった。
 デパートのブラック・フォーマル(黒の礼服)売り場で商品の見事さに圧倒されたが、実際にそれを着用している人々には新たな感銘を受けたようだった。普段着にしても、汚れていたりだらしない恰好ではなく、きちんと場を弁えているように映っていた。

「貧しい日本人っているの」

グランドゴルフを楽しむ日本の高齢者(参考写真)

グランドゴルフを楽しむ日本の高齢者(参考写真)

 ブラジル人の目には、どこもかしこも裕福に見え、「日本に路上生活者っているの? 貧乏人っているの?」と映ったようだ。
そこで私は「います! どこの国にも、どの家庭にも完璧はないように、日本だって問題大いにアリ、なのです」と、このように反論した。
 1990年代のバブル崩壊以降の経済政策の失敗で、若者層が貧困化し、財務省の発表で1994年から2009年までの期間で、世帯収入300万円未満の若年貧困世帯が倍増し、若い世代の20%が貧困といえる状況にあり、それが結婚出来ない、子供を作れない原因にもなっている。
 別な調査では子供のいる世帯のうち、およそ20%前後が世帯収入300万円以下。「片親世帯」では60%以上が世帯収入300万円以下で、東北大震災後の現況は良いとはいえないであろう。
 今日の日本は「格差社会」であり、働いても働いても暮らしが成り立たないフリーターやパートタイマーなどの不安定な非正規雇用者を総称する「プレカリアート〔イタリア語のプレカリオ(不安定な)から派生した言葉で、不安定な雇用を強いられた人々という意味〕」の「ワーキング・プアー」層、孤独で貧しい独居老人や、労働力不足に対応するための外国人受け入れの問題など、深刻な問題が山積していることは、連日報道されている。

高齢者の就労事情

テニスをする元気な高齢者(参考写真)

テニスをする元気な高齢者(参考写真)

 以上のように、初めての日本の光景は、見るものすべてが新鮮な驚きの連続であったが、彼女に最も強烈な印象を与えたのは、「高齢者の働く姿」であった。
 それは至る所で目撃された。高速バスのターミナルで重い荷物の運搬作業、交通整理、警備員、各観光名所名跡、文化センター公共の場での案内係、高齢(経験豊かな)のタクシーの運転手は、努力して覚えた英語を使って対応する。
 各所の清掃作業、コンビニの店員、レストラン、病院内の案内係、相談係、介護の現場では健康な高齢者が高齢の入居者を介護する…といった情景が普通にみられる。いったん定年退職し、その経験を活かして再雇用される、あるいは新たな職場で働く、といった状況である。
 実際、あらゆるところで忙しそうに立ち働いているのを目の当たりにして日本の少子高齢化社会の実態を思い知らされた。
 今日の日本の高齢者就労状況についての「内閣官房人生100年時代構想推進室」平成30年5月16日の資料から、興味深い調査結果をのぞいてみると、
●2060年には日本の総人口は8674万人まで減少し、そのうち65歳以上が全人口の約40%を占めるようになる。このような状況下において、労働力供給を増やすために、経験や知識・スキルを持った高齢者は企業の重要な労働力として求められる。
●現在、60歳以上の高齢者のうち実に7割が「働きたい」と感じていて、中でも「働ける間はいつまででも働いて収入を得たい」と感じている人の割合は高く、「仕事をしたいと思わない」と感じている高齢者はわずか一割という調査結果である。希望する就労形態は、男性の場合、4割がフルタイム、パートタイム。女性の7割がパートタイムで働くことを希望している。
●高齢者が再び働く理由としては、「健康が維持できる」、「新しい人と知り合いになれる」、「仲間に貢献できる」などを重要視していて、「収入を得ること」は必ずしも上位に挙げていないという政府の調査に対し、逆に民間の研究所の調査では、「年金プラス」の収入を求めて再就職する人の数が多いというのも興味深い。
 採用する側の企業では、中高年を採用したいという意向を強く持っていて、実際に採用実績のある会社は7割に近い。
 この場合の意識調査で、同じ会社に再就職する場合、「元部下のもとで働くことに抵抗感がある」という意識に対し、元上司を部下とする側は「元上司のシニアを部下とすることに抵抗感がある」と答えている割合が半分もいる。
 また、高齢社員の能力・経験を活かして再就職させたい企業側の問題としては、「活用させる場所、ポストが不足している」、経験者とはいえども、「事業構造の変化にその人の経験・スキルが陳腐化している」、「出向・転職先のポストの不足」などの問題を抱えている。このような両者の問題点を突き合わせ、新たに自分なりの起業を目標にする選択肢も増えつつあるようだ。
 このような調査結果の背景には、今日の高齢者男女の健康状態がかなり良好で、グラフで示された「歩く速度や、読解力、数的思考(計算できる能力)、ITを活用した問題解決能力などの身体機能が発達は顕著である」。本人が働きたいと思えばいくらでも働ける場がある。
 欧米諸国と比べた高齢者の就業率は52・9%。(内閣府調査)あるいは78・9%(労働政策研究・研修機構調査)と断トツである。それに、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スウェーデン(もともと福祉給付より就労第一主義)が続く。
 欧州連合(EU)では、90年代後半以降、「活力ある高齢化(アクティブ・エイジング)」を大きな政策目標として掲げ、高齢者が働くことが当たり前の状況に上向いている。
 世界的に進んでいる文明諸国の少子化現象と高齢者の身体機能向上の結果として高齢者就労はますます必要とされていくであろうが、日本の特徴は高齢者、とくに男性の就業希望者が多いこと。そして就業率が欧米諸国と比べて大変高いことが、これらの調査結果に著しい。

今生の身体を使い切る

日本にはこのような高齢者向けの横断歩道のボタンがある(参考写真)

日本にはこのような高齢者向けの横断歩道のボタンがある(参考写真)

「雑宝蔵経」という書物には多くの因縁物語やたとえ話が収蔵されている。
 その中にある仏教説話の『棄老国因縁』は、たとえ労働力として役に立たなくなっても、老人を捨てるのではなく、「年寄りの知恵を大切にせよ」という教訓に収斂される。
 つまり、「棄老伝説」は、「敬老訓話」を導くためのものと言われる。その中から、よく知られた話をいくつか挙げて紹介したい。
     ☆
 昔、老人を棄てる国があった。この国の老人は皆、遠くに捨てられた。
 その国の王に仕える一人の大臣には老いた父がいた。いかに掟とはいえ、父を棄てることができず、深く大地に穴を掘ってそこに家を作って父を隠し、孝養を尽くしていた。
 ところがここに一大事が起きた。それは神が現われて、王に向かって恐ろしい難問を投げつけたのである。それに答えられなければ国を亡ぼすという。国王は臣民に問うたが、誰一人質問に答えることはできなかった。そこで大臣は家に帰り、ひそかに父に尋ねたのであった。
 それらの質問は次のようなものだった。
(1)「ここに、大きな象がいる。その重さはどうして量るか」
「象を舟に乗せ、舟が水中にどれだけ沈んだか印をしておく。次に象を降ろして、同じ深さになるまで石を載せその石の重さを量ればよい」
(2)「一すくいの水が大海の水より多いというのは、どんなことか」
「清らかな心で一すくいの水を汲んで、父母や病人に施せば、その功徳は永久に消えない。大海の水は多いといっても、ついに尽きるときがある。これをいうのである」
 次に神は、骨と皮ばかりにやせた飢えた人を見せ、その人にこう言わせた。
(3)「世の中に私より飢えに苦しんでいるものがあるであろうか」
「ある。世に、頑固で心が貧しく、仏法僧の三宝を敬わず、父母や師匠に供養をしないならば、その人の心は飢えきっているだけでなく、その報いとして、後の世には餓鬼道に落ち、永劫に飢えに苦しまなければならない」
(4)「ここに同じ姿・形の母子の馬がいる。どうしてその母子を見分けるか」
「草を与えると、母馬は必ず子馬の方へ草を押しつけ与えるから、直ちに見分けることができる」
 これらの難問に対する答えは、ことごとく神を喜ばせ、また王をも喜ばせた。そして王は、この智慧が密かに穴蔵にかくまっていた大臣の老いた父から出たものであることを知り、その後、老人を棄てる掟を廃し、年老いた人に孝養を尽くすようにと命じた。
 この物語は、古くインドや中国、世界各地で起きた食糧難によって、労働力にならない老人を山に棄てるという慣習から生まれ、各国に同じような物語が伝わる。日本でも作家深沢七郎は『楢山節考』でそのことを描いた。
 今日、日本は未曽有の繁栄を経験し、健康な高齢者は「働けるうちは、働き続けたい」と願い、また社会もこれまでの経験と知恵を尊重する社会になっている。近年頻発する自然災害で率先してボランティア活動をする高齢者もいる。
 そのような方々に共通した思いは、「今生の肉体と、長い人生から培った知恵を使い切り、社会のために尽くしたい」ということだ。
 なんと清々しく、憧れる生き方であろうか。この頃大流行りの、「健康は命より大切」という「健康病」からの脱出法はこれに限る、と強く共鳴し、啓発された。
「今生の身体を使い切る」ほど働ければ、何事か、人生の醍醐味を味わえるような気がするからである。
《参考文献》
★日本仏教伝道協会『仏教聖典』