コロニア10大ニュース=悲喜こもごもの1年振り返る=眞子さまご来伯、110周年祭典=日系候補大半落選、サ紙廃刊も

 ブラジル日本移民110周年記念式典が行なわれた7月をピークに、記念行事が目白押しの1年となった。なかでもハイライトは、3月の皇太子殿下、7月の眞子内親王殿下のご来伯だ。サンパウロ州地方部まで足を伸ばされた眞子さまは、各地で感動の渦を巻き起こした。110周年実行委員会も短期決戦ながら菊地義治実行委員長を中心にしっかりと仕事をしたが、それ以外にも宮坂国人財団のエコロジコ公園完成、リベルダーデ日本広場への改名(メトロ駅名も)、人文研の全伯日系団体実態調査など次世代に残す遺産がいろいろとあった実り多い節目となった。ただし、10月の統一選挙では日系社会基盤の候補がほぼ全員落選した上、暮れも差し迫った12月20日、サンパウロ新聞廃刊との悲しい知らせが舞い込んだ。コロニアにとって、悲喜こもごもの1年となった。

第1位=感激! 眞子さまご来伯

先没移民に鎮魂の祈りを捧げられた眞子さま

先没移民に鎮魂の祈りを捧げられた眞子さま

 コロニアにとって本年最大の出来事は、眞子内親王殿下のご来伯だ。殿下は、ブラジル日本移民110周年記念式典等にご臨席のため、7月18~28日にかけて5州14都市を巡られた。
 皇族としては初めてプロミッソン、カフェランジア平野植民地、パラー州トメアスーなど初期移住地を巡られ、開拓先没者の御霊に深々と鎮魂の祈りを捧げられた。
 各地で熱烈な歓迎を受けた殿下は、高齢移住者には腰を落として一人一人に握手を求め、若手日系人には励ましのお言葉をかけられた。平野植民地では、初期移民がマラリアで次々と斃れていった慰霊碑の前で泣き崩れた老婦人を優しく抱擁され、村民を感激させた。
 また、110周年記念式典に先駆け、3月にブラジリアで開催された「第8回世界水フォーラム」には皇太子殿下がご臨席された。駐伯大使館でのご接見では、各地で祭典事業を進める日系団体代表者らに励ましのお言葉をかけられていた。

第2位=移民110年、次世代に遺産!

 実行委員会発足から1年半の短期決戦で準備した日本移民110周年祭典事業。豪華な新年会を皮切りに、例年を遥かに凌ぐ一千人以上集まった移民法要は壮観だった。極めつけは式典会場で催された豪華芸能ショー。2千人を動員し、コロニア伝統芸能の精華を惜しみなく披露した。
 それを裏で支えたのが菊地義治実行委員長だ。同氏は自費で二度に渡って訪日、全国各地を巡って式典出席を要請。募金活動に加え、協力券販売では並外れた馬力で売り歩いた。結果、当初目標を上回る380万レもの資金が集まり、式典開催のみならず国士舘再開発計画にも道筋をつけた。
 一方で本年はイベントだけでなく、次世代に繋がる遺産が生まれた。70年越しの返還運動が結実したサントス日本人会会館正式返還に加え、「日本」名が加えられたリベルダーデ広場、地下鉄駅名の改名は日系社会の精神的遺産。また、人文研が実施した日系団体実態調査は、日系社会の未来を議論する上で重要な資料となった。

第3位=圧巻! 沖縄県人移住110年

総勢2千人の大パレード

総勢2千人の大パレード

 日系社会の約1割でありながら、その規模を遥かに上回る存在感を放つ沖縄県人社会。眞子内親王殿下ご来伯の興奮冷めやらぬ中、8月3~5日にかけて沖縄県移民110周年祝典が催された。
 なかでも琉球芸能の華、ビラ・カロン『おきなわ祭り』では、県連日本祭り記念式典会場で行われた芸能ショーに匹敵する総勢2千人以上の大パレードを敢行した。国外からの慶祝団約500人に加え、14隊で構成されたパレードには三、四、五世の若手が目立った活躍をし、県人会の〃新時代〃を予感させた。
 今年4月には、県人会傘下支部の婦人部からなる婦人連合会を発足。10月には、世界ウチナーンチュの日に合わせて40歳迄の若手だけで「次世代の宴」を催すなど、婦人部と青年部の両輪による会活性化を着実に進めている。
 こうした過密な日程のなか、同人誌『群星』第4号が発刊されたことも特筆に値する。世代交代の転換期にある中、琉球芸能の継承普及に舵を切った県人移民85周年記念祭典の意義を再考し、今後の県人会の指針を明確に打ち出している。

第4位=四世ビザ、制度見直しを!

 日系四世受け入れのための新制度が、今年7月に解禁となった。来年3月迄の目標人数を4千人としているが、当地における同制度による査証発給件数は1桁の域を出ておらず、目標には遥か及ばないのが現状だ。
 活動制限のない日系三世の定住者資格に比べ、日系四世向けの新制度では、入国時にN4程度の日本語能力が求められるうえ、受け入れサポーターが必要となる。30歳迄の年齢制限、家族帯同不可、滞在は最長5年と厳しい条件が付けられている。
 日本に対する理解を深め、帰国後に現地日系社会との懸け橋となることを制度趣旨と謳っているが、入国後の就労見込みを示さなければならないなど、制度設計の主旨が曖昧となっている。日系四世からは条件が厳しすぎるとの声が挙がっており、制度設計の早期見直しが期待されている。

第5位=統一選挙で日系候補落選

 10月7日に投開票された統一選挙で、サンパウロ州の日系社会を基盤にする連邦下議、州議が全員落選した。日系社会と関係の深い連邦下議の飯星ワルテル氏(PSD)、大田慶子氏(PSB)、安倍順二氏(MDB)、伊波興祐氏(PROS)らは涙を飲む結果となった。
 パラナ州では西森ルイス氏のみが当選した。
 サンパウロ州からは1954年10月に田村重幸氏が日系人で初めて連邦下議に当選以降、ずっと輩出してきた。
 今回、サンパウロ州の連邦下議選に初出馬で当選したキム・カタギリ氏は、当選者70人中のなんと4番目、46万5310票も得た。22歳の同氏はブラジル民主運動(MBL)の指導者として反汚職デモなどを先導してきただけに、一般社会から変革への希望を託されて当選した。
 日系社会の弱体化と世代交代を印象付ける選挙結果となった。

第6位=宮坂財団、エコロジコ公園

一月に開園するエコロジコ公園(撮影・望月二郎)

一月に開園するエコロジコ公園(撮影・望月二郎)

 日本移民110年の節目に、ブラジル社会に対する日系社会から〃恩返し〃となったのが、宮坂国人財団初の独自事業である「エコロジコ・イミグランテス公園」だ。
 サンベルナルド・ド・カンポ市のイミグランテス街道沿いに広がる大西洋森林に位置する同園計画は、08年の移民百周年で構想され、13年に着工。だが、環境規制が厳しく全て手作業で工事が進められ、総工費約1400億レに上った。
 建設に際しては9割以上でリサイクル材を使用。施設の電力は全て太陽光、風力発電で賄われ、「おもてなし」「もったいない」を具現化した。こうして徹底的な環境配慮とバリアフリーが実現された同園。消滅の危機にある原生林と動植物を保護し、エコツーリズムや環境教育に利用されることが期待される。開園は1月から。

第7位=母県被災で立上がる県人会

北海道協会の皆さん(提供・ブラジル北海道協会)

北海道協会の皆さん(提供・ブラジル北海道協会)

 7月の西日本豪雨で死者数108人に上るなど甚大な被害を受けた広島県を支援するために、広島県人会は7月の県連日本祭りで募金活動を開始し、すぐに寄付用特別口座を開設した。およそ2カ月間で、日本円に換算して約150万円が寄せられた。
 同じく西日本豪雨で大きな被害を受けた母県を支援するために、岡山県人会(角南美佐子会長)も義援金特別口座を開設し、「支援フェイジョアーダ会」を8月19日に同会館で開催した。急な呼びかけたにも関わらず、若者を中心に200人以上の来場者が集まり、収益の全額を母県に寄付した。
 9月3日に起きた北海道胆振東部地震で甚大な被害を受けた安平町。そこと縁の深いブラジル北海道協会(大沼宣信会長)は、「北海道安平町震災支援イベント」を10月12日に開催した。予想を上回る約300人が来場し、焼きいかやニシン等の販売収益と募金を合わせて1万レアル以上が集まった。同会が募金活動のため開設した銀行口座にも続々と募金が寄せられた。

第8位=目白押しだった創立行事

 日本移民110周年と共に、多くの団体が創立記念行事を行った。その数は本紙で取り上げたものだけでも41に上る。
 県人会では17団体が節目の年を迎え、内11団体では日本から慶祝団を迎えるなどして盛大に祝典を催した。地方日系人会では聖南西連合(UCES)やドラセーナ、イビウナ文協などが式典を行い、日系企業では、NECが当地進出50周年を記念してイベントを行った。外務省の広報拠点『ジャパン・ハウス』は、5月の開館1周年時点で来場者数が77万人を、8月末には100万人を超え注目を集めた。
 ACAL東洋祭り、カンポスさくら祭りが共に開催50回を迎え、池坊ブラジル支部等の文化団体や日伯友好病院等の福祉団体、松柏大志万学院などの教育団体も節目を祝い、新たな一歩を踏み出した。

第9位=めでたい受勲、表彰者多数

 優れた功績を残した人々が、今年も多く顕彰された。
 日本政府による春・秋の叙勲ではブラジル人、日系人ら合わせて30人が選ばれ、外務大臣表彰では50の個人・団体が、サンパウロ市議会からは10人がその功績を認められ表彰を受けた。
 民間でも各団体が高齢者、功労者表彰を盛んに行った。
 中でも移民110周年の今年は、同祭典委員会が、日系社会の発展ならびに日伯両国の関係強化に顕著な貢献をした110の個人・団体に「笠戸丸表彰」という顕彰をした。式典には全伯各地から受賞者と家族、友人らおよそ900人が参加、共に喜びを分ち合った。

第10位=日本食、ブラジル文化の一角に

 日本移民が持ち込み、すっかり定着した日本料理。その人気は依然衰えるところが無く、幾度も紙面を賑わせた。
 3月には、昨年10月にマットグロッソ・ド・スル州都カンポ・グランデ市で開催された郷土食コンテストの結果が話題に。全1万5千票のうち『沖縄ソバ』が断トツの41%を獲得し、同市の郷土食として正式に認定されていた。
 5月には「2018年度ミシュランガイド サンパウロ・リオ版」が発表され、サンパウロ市で選ばれた15店中、全て一つ星ではあるものの日本食レストランが6店(40%)を占めるに至った。
 9月には世界各国の外国人寿司職人が腕を競い合う「ワールド寿司カップ」でサンパウロ州イタペチニンガ出身の斉藤森サンドラさん(41)が4位に入賞を果たしている。

番外編=サンパウロ新聞が廃刊

 サンパウロ新聞が20日付で廃刊の社告を出し、72年間の歴史に終止符を打つことを明らかにした。1946年10月に創刊、今年10月に丸72年を迎えた。12月22日付の通常号、2019年新春特別号が最後になった。
 このニュースは同紙と提携紙だった毎日新聞で報道された他、時事通信、共同通信でも配信され、日本の地方紙でも多数掲載され、在日ブラジル人コミュニティ向けのポ語「アウテルナチーボ」誌サイトでも扱われ大きな反響を呼んだ。
 鈴木雅夫サ紙社長は、編集局長名で「本誌廃刊のいきさつ」との手記を20日付コロニア社会面に掲載し、大見出しに「急激な読者減と経費膨張が引き金/度重なる運転資金ショートで決断」と理由を説明した。
 同紙は9月頃に安い印刷所に変更、11月からは配達を週2回の郵便に変えるなどの経費削減をしていた。同手記の中で今後、サイトとして復帰する可能性を示唆した。