ブラジルは誰にでも有望な投資先か=進出日本企業に体質改善を提言=サンパウロ市在住 西銘光男=(中)

労務裁判に困って、ロボットによる組み立て工程が増えたフォルクスワーゲンの工場(Foto: Imprensa Volkswagem 21/01/2014)

労務裁判に困って、ロボットによる組み立て工程が増えたフォルクスワーゲンの工場(Foto: Imprensa Volkswagem 21/01/2014)

<3> 安い人件費

★雇用と労働訴訟

 ブラジルにおける終身雇用の制度は公務員だけである。民間は、居心地が悪い、または少しでも給料の高いところがあれば、簡単に解約して転職できるシステムである。雇用者側も簡単に何時でも解雇する事が出来る。極めて実利的に見えるが、実はここに大きな落とし穴があるのだ。
 ヴァルガス政権時代に発令されたブラジル統合労働法は世界でも最先端を行くものと言われ、弱者である労働者を保護すると言う趣旨は結構だが、やり過ぎで不当なまで優遇、甘やかし、労働裁判でも会社側に7分の利があっても敗訴となるとさえ言われている。簡単に解雇は出来るが解雇者一人1件の労働訴訟を覚悟しなければならないと言えばチト大袈裟か? 工場の門の近くに弁護士と名乗る者が待機しており、退社時間以外に出てきた者に接近し、解雇を言い渡されたと聞けば、直ちに退職金の計算書の一覧を求め、「たったこれだけしか貰ってないのか、まだまだ貰えるものがある」と吹き込み、委任状に署名させ、訴状をでっち上げ労働裁判に持ち込む。
 判事も心得たもので、先ず当事者に和解を勧める。脛に傷を持つ会社は、少々の金で済むなら裁判所と掛り合うよりましだと、和解に応じる者が多いので、裁判所の待合室に『和解が最良の解決策である』と書かれた大きな横断幕を実際に見た事がある。
 今までは、労働訴訟には労働者負担が全然なかったので却下されてもダメモトで、和解が成立しいくらか貰えて、仮にそれを弁護士と折半しても儲けものであるというのが一般常識になっている。
 私の知っている従業員僅か400人の工場で係属中の労働訴訟が135件もあり、専門の弁護士が2人も常勤していた。その弁護士たちは妥協する事を嫌って、高等裁判所でトコトン論争する方法を採っていたので仲間から異端者と見られていたらしい。これらの状況を見ると一見、人件費が安いと思われても結局は高いものになる。
 それだけではない。ブラジルの給料は低いと定評がある。確かに労働者が貰える給料は極めて安いが、雇用主にとってはそうではない。
 と言うのは、定年退職後の年金の資金源の課徴金、第13カ月(年末ボーナスの義務化)、休暇で休職する場合、手当の3分の1相当の追加ボーナス(憲法で保障)、勤続年金積立金、社会福祉(PIS、COFINS)、といった間接社会福祉費がべらぼうに高く、基本給の1・7倍以上が固定費で、その上、理由なき解雇の場合、FGTS残金の40%の罰金を含む退職金、労組訴訟費などの嵩んだものが実質人件費となるので決して安くないのだ。

<4> ブラジル人労働者の労働意欲

 ブラジル人は概して働く事はあまり好きでない。自助努力、愛社精神の持ち合わせは無く、努力して地位を高めようとするものは極めて珍しい。
 ブラジルが発見されて間もなく、ヨーロッパで需要の高かった砂糖の生産が盛んとなったが農場や工場での働き手が不足し、土着の先住民を狩り集め奴隷にしようと試みた。だが、食物がある間は働かない、また他人に隷従する事を徹底的に嫌う習慣があり、結局旨く行かず、代わりにアフリカ大陸から黒人を導入し奴隷にした経歴がある。
 また、ブラジル政府は東北伯の経済成長を促進する目的で、同地域に投資する企業に対し手厚い奨励策を設定した。多くの企業がその恩典を享受すべく同地域に拠点を設け、働いて手当を貰う習慣のない同地方の労働者に雇用の機会を与えた。
 工場が操業を初め1カ月が経過した時点で、給料を支払った翌日から誰も出勤しなくなった。驚いた雇用主が調査したところ、「お金があるのにどうして働かねばならんのだ?」という返事が帰って来て仰天したという、日本人の感覚では信じ難い事実があった。
 それが遅れた東北伯だけではなく、比較的文明化した南の州でも起きているのでブラジルの労働者は、概ねその傾向がある事は間違いない(インヂオのDNAを受け継いだのか?)。こんな習慣を持った労働者を旨く働かせるには、大変な工夫が要る事を認識しなければならない。
 これに拍車をかける政策が採られているから恐れ入る。ブラジル労働者党(PT)が政権を握り、ポピュリズムのバラマキ政策が実施された。初等教育を充実させるという名目で、通学を条件に給食を無償で提供した。食事にありつけるので多くの子供が就学したまでは良かったが、学校の休み中に給食が無いのは不合理だと騒ぎ立て、結局授業はない間も給食だけは続けた。
 その他、生活補助ボーナスを貧民に給付し国家予算の大きな負担となっている。当時の大統領が〃パウ・デ・アララ〃(北伯の貧民移民)出身で、大学を出なくても大統領になれるのだと機会ある毎に嘯いていたので、生活は政府が面倒を見てくれるから学校へも行かず、働く事もないという〃ナマケ者〃を多く生み出す結果となった。(つづく)