臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(35)

 樽叔父に収容所出発のとき配られたランチを食べてもいいか訊ね、いいぐあいに、荷物のなかに小刀があったので、パンを切り、モルタデラを何枚か挟んだ。臭いは強く、名前のように得体の知れない食べ物だった。
 味見をしてみた。たしかに味は濃いが、考えてみるとパンによく合っておいしいのだった。もし、だれかに「この国で何がたべたいが?」ときかれたら、すぐさま「モルタンデエラ」と答えるだろう。大抵のひとは“n”を言葉の間に入れ、“a”を口を開けて発音する。そして、“e”を長くする。だから、「モルタンデエラ」となるのだった。
 ランチを食べたときはサン・マルチニョ耕地までの距離をまだ半分もいっていなかった。それが正輝をイライラさせた。汽車のスピードは時速40キロ足らずなのだ。気に食わない状況にもはやく馴れ、何事にも忍耐強く接すよう心がけるべきだと思った。(つまり、この旅は新しい人生の出発ではないか)と前向きに受け止めたのだ。
 しかし、もう、眠ることはできなかった。ジュンジアイをでたあと、窓の外をゆっくり通り過ぎる町を眺めた。なにかしら希望があるような町に見えた。そのあと、小さな駅やひとかたまりになった家々のほかにもいくつかの町を通ったが、カンピーナスのように大きくはなかった。夜になると、あちこちの灯りが目にうつった。
 正輝は故郷の新城からあまり出たことがなかったので、沖縄についてよくしらなかった。出かけるといっても、せいぜいすぐ近くの村まで歩いて行ったていどだ。汽車にのって、すでに3~4時間は経っている。故郷の沖縄県を端から端まで通るよりもっと長い距離を走ったことはわかっていた。だれかがまだ、サンパウロ州内なのだと教えたくれた。
「とんでもなく大きな国だ」
 神戸の移民斡旋所でブラジルはどんな国か、そこで、どんなことをするか説明してくれたことを思い出していた。夜中にマルチニョ・プラド駅に着いた。そのとき、彼らは一種類の樹に囲まれていることは分かったが、それが何であるか気がつかなかった。着いたら何をするのか知りたくて、周りに注意をはらわなかったのだ。
 駅まで迎えにきたコーヒー園の使用人頭の説明を日本語にする通訳の話に気をとられていた。そこから、各家族にあてられた家に大型の荷車で運ばれた。そのとき、周囲は全てコーヒーの樹だと告げられた。暗かったが、コーヒーの樹は自分たちの背よりずっと背が高いことがわかった。
 それぞれの家につき、荷物をおろすまもなく、ごくシンプルだが心のこもった歓迎会が行われた。彼らのため、また、いっしょに着いたほかの移民のために以前からいる五家族の移民たちが催した歓迎会だった。客にだされるお茶もなく、沖縄のお祝いと似ても似つかないものだった。お茶の代わりに農場でいつも飲まれている水っぽくて甘いコーヒーがだされた。食べ物は乾し肉と玉ねぎの炒めご飯だった。しかし、話題はたくさんあった。
 ブラジルにきて、すでに数年経っている人たちは日本の様子をききたがった。故郷の情報に飢えている。新来の人たちが日本や出身地一般の経済情勢について答えるなど、出身地の違いもあり容易なことではないのだが、すでに長いこと現地で生活する移民たちはどんな答えにも満足した。