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マルセロ・ユッカ死去=人気ロックバンド、オ・ラッパの悲劇のメンバー

在りし日のユッカ(José Cruz/ABr - Agência Brasil)

在りし日のユッカ(José Cruz/ABr – Agência Brasil)

 18日、人気ロックバンド、オ・ラッパの主要メンバーで創始者のひとりでもあったマルセロ・ユッカ(53)が、入院先のリオの病院で脳血管障害(AVC)で亡くなった53歳だった。
 1965年にリオで生まれたユッカは90年代に、仲間と共にロックバンド、オ・ラッパを結成。1994年にアルバム「オ・ラッパ」でデビューする。
 オ・ラッパは、ロックにヒップホップやファンク、レゲエを組み合わせたサウンドで注目され、アメリカのレッドホット・チリ・ペッパーズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンといったバンドへの「ブラジルからの返答」などと呼ばれ、よく比較された。
 96年の「ラッパ・ムンディ」や、最高傑作と呼ばれることの多い「ラドB、ラドA」などが大ヒットし、オ・ラッパは国内屈指の人気バンドとなったが、ユッカはドラマーをつとめるだけでなく、アルバムの中の曲の大半を書くなど、バンドの中心的存在だった。とりわけ、ファヴェーラ(スラム街)に生きる人々の貧困や暴力などの苦しい現実を歌った歌詞は、強い共感を得た。
 だが2000年11月9日、女性を狙った強盗事件に巻き込まれ、9発の銃弾を受けたことで、下半身不随となったユッカは、ドラマーとしての人生を断たれてしまう。
 彼はその2年後にオ・ラッパを脱退した。障害より、バンド内の不和が原因だったという。
 ユッカはその後、新バンドのF.UR.T.O.を結成したが、大きな成功にはいたらなかった。オ・ラッパは昨年になって活動休止を宣言するまで活動を続け、ブラジルでの国内バンドの人気が落ちる中でトップクラスの人気は保ち続けた。だが、ユッカ在籍時ほどのカリスマ性は出せずにいた。
 ユッカはその後も、急進左派の社会主義自由党(PSOL)からマルセロ・フレイショ氏の副候補として2012年のリオ市長選に出馬するなどして話題を呼んだ。
 近年は体調を崩し、昨年の半ばにもAVCで倒れていた。今回のAVCは2日に起き、集中治療室に入院していたが、治療の甲斐もなく、18日深夜に息を引き取った。(19日付G1サイトなどより)

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