臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(39)

 もっとも、正輝はこれらの作業をほんの一日で覚えてしまった。保久原家の本格的なコーヒー畑の仕事はいよいよ明日から始まる。
 カンカンと耳障りで、しつっこい鐘の音で起こされた。時計はなかったが、早朝であることはわかっていた。4時かそれとも5時か?、どっちにしても大差はない。まっ暗でいつもどおり寒かった。眠かったがどうしようもない。監督はみんなが起きたか見回りをはじめている。つづいて角笛が鳴った。受持ちの畑にむかい仕事を始める時間がきたのだ。遅れる者もいないわけではなく、監督のどなる声が聞こえた。だれにも何をいっているのかわからないのだが、文句をいっていることは確かだ。
 今朝は、保久原の人間はあんなに前日いっしょうけんめい用意した鍬や鎌をもっていかなかった。仕事道具として、布、ふるい、それに背丈の低い梯子が渡された。仲間たちの忠告をきいて服をしっかり着込んでいた。「着込む」といっても、彼らがブラジルにもってきた服(つまり夏服)を着込んだだけだ。それから、作業中のほこりがひどいと聞かされていたので、布で頬かむりした。
 収穫期が始まる5月からコーヒー園は忙しくなる。一年のたいはんを費やす除草や剪定の時期とは対照的に活気に満ちている。働き手として導入された移民たちも、この猫の手も借りたい収穫期にあわせられていたし、この時期はまた仕事も収入も多く、移民たちの気持ちを鼓舞する。各自の収穫量で収入が決まるからだ。
 腕を広げればコーヒーというお金がどんどん入ってくる、という噂も嘘ではない。周旋屋に騙されたわけではないと思えるほどだ。
 ところが、保久原家をはじめとした若狭丸の乗船者には、ツキがなかったといえる。シンガポールでの約一ヵ月にわたる足止めで、コーヒーの収穫期を逃してしまったのだ。彼らがコーヒー園に着いたときには収穫期が終ろうとしていた。5月中旬から始まった収穫は9月までつづくのだが、8月も半ばを過ぎると、収穫量がだんだん減っていく。
 割り当てられたところは収穫できるコーヒー豆などほとんどない状態だった。そして降霜。それに前月の霜の被害はサン・マルチニョ耕地だけでなく、サンパウロ州、パラナ州にもおよんでいた。それも一回だけではない。一家の希望は霜害のコーヒー樹を目にしたとき、その破壊力の強さとともに消えてしまった。彼らがブラジル行きを決めた移民奨励ポスターにあった「コーヒーは金のなる木だ」という言葉からすると、この年はほんの少ししか金がならなかったということになろう。
 自分たちが受けもつ霜に焼けたコーヒー樹をはじめて目にしたとき、落胆するというより、動揺してしまった。葉が霜に焼かれたのではない。採るべきコーヒーの実がなかったのだ。高台の緑に光っていたコーヒーの海、周囲にもあふれていたコーヒー樹があった…のに。
「収穫するコーヒーはまだ、たくさんあるはずだ」と、樽は妻のウシや正輝を励ました。励ましたものの、はじめの豆を手にしたとき、いやな予感がした。霜が降りなかったのに、枝は湿って冷たく、そのため、手が冷たく感覚がなくなった。指、手のひらや甲にかすり傷を負ったが、痛さを感じない。手が凍えたから痛みを感じない。ために仕事の能率はあがった。皮肉だった。そして採取で飛び散るしぶきで、服がしだいに濡れていった。それが明け方の冷たい風にさらされると、体中が凍えるように冷たくなった。