臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(42)

『日本を出る移民は船賃やその他の経費の融資を受け、借金を抱えて渡伯した。外国では水でも汲むようにたやすく金が手に入ると聞いていたからだ。
 移民たちは何ヵ月か働けば100円なり、200円なりの借金を返済できると考えたのだ。ところが、現実は逆で、儲けるどころか借金がどんどん膨らんでいったのだ。それに栄養不足や疲労困憊からくる絶望が、労働拒否や蜂起という新しい事件を起こしていった』
 移民たちはきびしい労働と困窮する生活にたえながら節約した。――日本に帰るために、あるいはここでより良い生活を得ようと懸命にためたわずかな蓄え。――そのわずかな金から、農園内で「伝票」で購入していた日常雑貨が前借りとしてさし引かれることが分かった。ふつうは園内に購買部があるか、特定の食料雑貨店と提携してそこで買わせる。――ちなみに特定の雑貨店は園主が経営しているか、または彼と利益をわけあう協定を結んだほかの雑貨店のことだ――。
 その伝票によって、移民たちは生活必需品を手に入れた。伝票はほかで通用しないから、当然その雑貨店で買うよりほかない。値段は周囲の町より高かったが、移民たちには現金がまったくなかったし、実際、町まで行って買ったとしても運んでくる方法もなかった。すべてが農園主の手に握られていたのだ。
 そしてまた、封建時代のように、ブラジルでは登録されることはなかった。前借金は3ヵ月か6ヵ月に一度、利子つきで差し引かれるので、結局、移民たちの手にはわずかな金しか残らなかった。生活改善もおぼつかず、渡航費の返済、ましてや、できるだけ早く帰郷するための預金をなど夢のまた夢といったぐあいだった。
 樽は監督や経営者と交渉し、家族の状況をよくしようと考えたが、彼はポルトガル語は二言、三言しか話せず、しかも相手には通じにくい。他の入植者も同じ問題を抱えているのだが、こちらの話しを受け入れてくれる可能性は少ないと思ったやさき、日本人の間で、脱走の話しがもちあがっていた。
 すでに脱走した者もいた。他のコーヒー園に逃げてよかったという情報もあった。そこでは急きょ人手を必要としていたからだ。なかには町に逃げた者もいた。保久原家にとって、脱走は新しい道を開くばかりでなく、農場との契約の束縛から逃げられることにもなる。
 大きな都市にいこうとは思わなかった。このコーヒー園を通った行商人から人口53万のサンパウロ市でひどい疫病が発生したと聞かされた。それは数ヵ月前の1918年9月から12月に流行したスペイン風邪のことだった。何週間かの間に8500人から1万人が死亡し、10万人がこの風邪に感染したという。保久原家にとって、これほど痛めつけられた年はなかった。
 ブラジルへ向う途中の避けようもない不運――若狭丸船中でおきた脳膜炎の流行、サントス下船のさいにでた死亡者、サンパウロ奥地でおきた未曽有の霜害、それに、今度発生したスペイン風邪。ヨーロッパ系移民からの情報でほんの少し分ったのだが、スペイン人は怒りっぽく、気性が激しいということだ。正輝は本当だと思った。「死をもたらす病原菌、こんなに遠くまでばら撒く」スペイン風邪が流行性感冒につけられた名前だということを知らなかった。――スペイン風邪はあっという間に流行し、そして、あっという間に治まった――べつにスペイン人やスペイン国を非難するためにこの名が付けられたわけではない。忘れられない惨事に見舞われた年に、この風邪にかからなかったのはせめてもの幸いだった。