『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(10)

世界一!

 ここで、一寸と話は飛ぶが――。
 この国の日系コロニアで政治、経済、文化、スポーツその他いかなる分野でもよいから〝世界一〟の折り紙をつけられる対象があるだろうか……といった類のことは、筆者は考えてみたこともない。
 ある筈はないからだ。
 ところが、それがあったのである。
 ブラタク製糸㈱が、生糸メーカーとしては世界一だという。
 1912年、同社の幹部から、それを聞いた時は(この人は何を言っているのだろうか?)と疑った。生糸なら本場は東南アジアで、日本には高名なメーカーが何社もあり、中国にも大工場が幾つかあると聞いていたからだ。
 対して、ブラタクはバストスに在る地味な中小企業という印象が強かった。
 ところが、その幹部氏によると、東南アジアのそれは衰退しており、ブラタクが世界一になっているという。どうも本当らしい。
 詳しいことについては追々触れるが、その幹部氏は基本的なことから説明してくれたので、まず、それを記す。
 ブラタクは生糸メーカーであるが、業界用語では業種は「蚕糸業」だという。
 蚕糸業とは「蚕種製造」から「養蚕・繭づくり」「生糸生産」までを指す。ちなみに、その生糸を撚糸・精錬すると独特の光沢を放つ。これが絹糸である。絹糸生産は──蚕糸業ではなく──絹業に分類されている。
 ブラタクは蚕種製造と生糸生産をしている。養蚕・繭づくりは農家の担当である。
 同社は絹糸も作っているが、その比率は少なく、生糸の段階で殆どを出荷している。
 因みに「製糸」は、辞書をひけば判るが「繭から糸をとること」である。
 次に「バストスのブラタク製糸」という表現は、不適当なようだ。工場はバストスで創立され、今もバストスに在るが、本社は初めからサンパウロ市内に置かれていた。さらに1974年、パラナ州ロンドリーナにも工場が建設された。そして2009年、本社はロンドリーナに移された。従って「ロンドリーナに本社を置くブラタク製糸のバストス工場」が適当である。
 さて、話は本題に移るが、資料類によれば、バストス移住地の発足時、ブラ拓は入植者へ、主作物をカフェーとし、副作物として米、フェジョン、ミーリョを間作する様、指導した。(間作=カフェーの樹間に植える方法)
 主作物をカフェーとするのは──日本移民に限らず──当時の内陸部に於ける一般的な営農形態であった。カフェーは、当時この国の基幹産業だった。ブラ拓が米、フェジョン、ミーリョも植える様に指導したのは「最低限、自家消費用の食糧を、入植者に確保させる」ことを目的としていた。
 しかしカフェーの市況は、バストスに最初の入植者が入った翌1930年、既述の様に大暴落してしまった。十分の一まで下がるという惨状だった。前年に始まった世界恐慌と国際市場に於ける供給過剰が原因だった。
 しかも1930年6月、バストスでは3日間に渡り降霜があり、植えて間もない低地の幼木は悉く枯死した。翌年以降、ブラジル政府は、余剰カフェーの焼却や海中投棄に踏み切り、サンパウロ州での新植を禁止した。
 副作物の穀物類も――これも既に記した様に――市況は極端に低迷した。
 所持金の乏しかったバストス移住地の入植者は震えあがり、パニックに陥った。誰もが新しい作物探しに血眼になった。ブラ拓事務所は直営農場で綿、煙草、野菜、牛、豚、鶏、蚕、その他「行けそうなモノ」は何でも、試験的に栽培・飼育した。
 新しい主作物に選ばれたのは綿であった。短期作で、しかも市況が割合良かったのである。
 移住地は、ひとまずホッとした。