『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=(29)= 外山 脩

 前項で水本豊氏が言っている様に、卵の販売価格の監視を受けていた処は総て潰された。

 では、それ以外は無事だったかというと、そうでもない。そこに至る経緯は、色々あったであろうが、やはり「恩典付き融資で規模を拡大した。ところが、その停止や市況の悪化で資金繰りが苦しくなり、高利の銀行融資でしのいでいたが、狂騰金利や預金封鎖で、行き詰まった」ケースが多かったであろう。

 水本の「既存のグランジャが無く、大きな市場に近い処に新しい鶏舎をつくる」という独創は、かなりの数のグランジャが倣った。やはり子供の頃から鶏舎の仕事を手伝っていた二世たちが中心になっていた。相応の投資をし負債をつくったが、高収益をあげた。しかし――右のケースで――消えて行った処が少なくない。

 ともかくグランジャの数は激減した。

 では、生き残った処は何故生き残れたのか?

 それは、水本氏が言う様に、経営者のエスペルトさが大きく影響したであろう。運転資金に十分の余力を残しながら、恩典つき融資をアプロベータし、危ないと見ると、サッサと手を引いてしまった。養鶏で得た利益を別の分野に投資していて、成功した処もあろう。堅実経営に徹し、初めから危ない橋を渡らなかったグランジャもある。無論、飼料の買付けも巧みだった筈である。その上手下手は、この業種の場合、損益に大きく影響する。

 

大変貌

 

 右は、この国の養鶏(卵)業界に関しての話であるが、バストスも同じだった。

 グランジャは、最多期の1970代末から80年代初め、280軒あった。それが以後、半分になり三分の一となった。因みに2018年現在では「50軒を切っている」という。

 2012年、水本氏はバストスの将来について、こう話していた。

 「今後、グランジャの数は減って行く。が、養鶏事業はまだまだ伸びる。離れた処への進出は今後も続くだろうが、それが極端に多くなることはなかろう。資金がかかるから。病気は、バイオ・テクノロジーでワクチン、薬の改良が非常に早くできるようになっている。鶏種の改良も早まっている。人事面では、バストスには良い若手が居る」

 水本が消えた後、業界の代表的存在となったグランジャ・ヤブタの薮田オサム氏は、同じ2012年、次の様に予測していた。

 「これからも、養鶏がバストスを引っ張って行く。バストスには、鶏飼いに適した労働者も多く2、500人くらい居る。技術も進んでいる。飼料面でも産地が近い。グランジャの規模は拡大する。これは世界的傾向。離れた土地への進出は、中以下のグランジャでは難しい」

 水本・藪田説とも、ほぼ当たった。

 2017年12月末、改めて藪田氏に電話取材をした。回答は、要旨、次の通りであった。

 「グランジャの経営は大きく変わってきている。昔は休みはとれないし…惨めな仕事だった。親は子供に継がせる気持ちはなかった。大学へ行かせて、もっと良い仕事につかせようとした。

 今はグランジャの規模は大きくなり、ドンドン機械化している。豊かになっており、人も多く使っていて、休みもとれる。子供は大学を卒業すると、帰ってきてグランジャを継いでいる。

 40年前、私がアメリカへ行って、大きな養鶏場を見た時(ブラジルに、こういう時代は来ないだろう)と思った。ところが、今はアメリカと変わらない。しかも国際化している。経営者は、皆、英語を話し、仕事でしばしばアメリカ、欧州、日本へ出張している。彼らの多くは40~50代だが、息子を大学に入れて跡を継がせようとしている。中小の処も、そうなろうとしている」

 2018年11月、現況を地元文協の会長、海老沢孝治氏に問い合わせると、「大型グランジャ(出荷量が一日当たり3、000箱=卵で108万個=以上)が15カ所ある。これで全体の出荷量の80%を占めている。そこは機械化が物凄く進んでいる。グランジャというよりファブリカ・デ・オーボだ。残りのグランジャで20%。こちらは家族でできる程度の規模でやっている。全生産量は一日約5万箱、つまり卵の数で1800万個。養鶏家の数は減ったが、羽数は確実に増えている」ということであった。

 つまりバストスの養鶏業界は大変貌しているわけだ。(つづく)

 

 

 

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