大耳小耳

 日系三世初の弁護士となった照屋さんは、8歳の時に訪日。埼玉県川越市内で通学していた公立小学校では、ブラジル人子弟は照屋さんのみだった。「ブラジルでは祖父と日本語で会話をしていたけど、同世代との会話、学校で使用されるレベルの日本語は全然分からなかった。似た形の平仮名や同音異義語も多いしね」とくすりと笑う。授業についていけるようになったのは、小学校6年くらいになってからとか。こうしたハンデを背負いながら、難関と言える司法試験に合格するまでの道のりを聞くと、「自分は周囲の友人に恵まれた」「受験科目で重要となる英数の高校教師がたまたま熱心だった」「司法試験も勢いで合格した」と苦労を語らないが、その裏には血の滲むような努力があったはず。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」との言葉があるが、照屋さんはまさにその言葉通りの人だ。