連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(75)

 1926年、日本政府が沖縄人の移民枠を削減したとき、翁長助成はサンパウロ州の各地に散在する同郷の有力者によびかけ沖縄協会を結成し、その初代会長となった。会の目的は政府の移民枠削減をくつがえすことにあった。
 夜中までつづく集会はリベルダーデ区のホテル東京館で行われた。ホテルの所有者は中村梁三郎という人物で、やはり沖縄人だった。彼はサンパウロに商談でやってくる者、職を探しにくる者、病気の治療にくる者、そうした移民の世話をしていた。病気の場合は医者を紹介し、金銭のもち合わせがない者にはセザリオ・モッタ・ジュニオール街の慈善病院(サンタ・カーザ・ミゼルコルジア病院)に入院させた。
 助成は知識ばかりでなく、親切心にあふれる人間でもあった。正輝房子夫婦を中村梁のホテルに向わせながら、ワクチンがあるのはパウリスタ大通りのパスツール研究所だけだから、できるだけ早く行くように勧めた。
 リベルダーデ大通りで行き先がビラ・マリアナ行きの市電39番に乗ること。市電はそののつづきのヴェルゲイロ街をのぼりきったところで、左に大きくカーブし、ドミンゴ・デ・モラエス大通りに入るが、そこで降りること。パウリスタ大通りはすぐそばで、パスツール研究所はそこから歩いて10分ほどのところだと教えてくれた。
 はじめてパスツール研究所に行った日は運がよかった。リベルダーデ大通りを渡ろうとしたとき、39番の市電が騒音を立てて近づいてきたのだ。二人はそれに乗ることができた。翁長氏の指示に従ったので、道にまようことなくパスツール研究所に到着した。すぐに房子は受付けでタバチンガの保健所で渡された書類を見せた。
 房子のように狂犬病の疑いのある犬に噛まれた者はすぐワクチンを打つ部屋によばれる。噛んだ犬はすぐ殺害されたか、犬の脳を調べるため頭が保管されたか。その脳の検査で狂犬病かそうでないかが判明するのだ。房子ただ、「マットウ カショロ」と犬がすぐに殺されたことしか伝えられなかった。そして、いろいろ質問されたが答えられなかった。
 そんなわけで、用心のため、ワクチンの投与期間が長くなった。医師の指示で臀部に注射するのはだめで、結局、腹に注射することになった。
 「赤ちゃんはどうなるの?」房子はとっさにたずねた。
 ワクチンの副作用で頭が痛くなったり、微熱がでたり、筋肉が痛んだり、疲れを感じたりするかもしれない。けれどお腹の子についてはなにも心配ない。母体にも、胎児にも、ワクチンが必要だとのことだった。
 最初の注射は火曜日だった。次の注射は2日あとで、そのあと2日おきに打たれる。7本の注射だから、結局2週間以上サンパウロに留まることになる。その期間、夫婦はホテル東京館の近くを歩き回った。そのたいはんは、日本食品をうっている雑貨店に足をはこんだ。
 神戸を出港していらい見たこともない品物が並んでいた。すでにブラジルで日本食に欠かせない味噌や醤油が生産され、店頭にならんでいた。そうめんをはじめ、豆腐、こんぶ、かまぼこもあった。また日本人が好きなごぼうもすでに近郊で栽培され、店先を飾っていた。
 金銭の持ち合わせがなく、何も買えなかったが、そういうものがブラジルで手に入ることを知り、「これから先、日本人の移民が多い奥地にもこういった食料品が手頃な値段で出回るのではないか」と彼らは考えた。