連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(77)
「たらいを洗って、そばにおいて」
「タオルをもってきて」
こうやって、正輝を助手に1934年10月30日の夜、房子は長男を産んだ。
正輝は「男だ」と叫んで、子どもをとりあげると、妻がいっておいたとおり母体と子どもの体をつないでいる臍帯を消毒しておいたハサミで体から2本指ぐらいのところを切った。新生児を素早く布でぬぐい、妻のいうとおり足首をつかまえ、背をたたいて産声を上げさせた。そのあと、こんどはゆっくりきれいに拭いて、ベッドの汚れていないところにそっと置き、分けておいた清潔な布を体にかけた。こんどは妻をきれいにする番だった。すべて彼女の指示に従った。
血液や羊水、排出された胎盤などをまとめて、用意しておいたタライに捨てた。湯にひたした柔らかい布をしぼって体を清め、細心の注意をはらって、彼女をベッドの汚れていない方に移した。これらいっさいを正輝は、まったく冷静に自信をもってやりとげたのだ。そして、ようやく房子は子どもを腕に抱えることができた。
はじめての出産は、結婚後3年も過ぎてからだったが、ことはすべて順調にはこばれた。どの日本人家庭でも望まれる男子の出生だった。これで、一家の継続が保障されたということだ。生まれた子をマサテルの正(正しいという意味)そして、幸(幸せという意味)を加え正幸マサユキと命名した。日本人、そして沖縄人の長男、嫡子としてふさわしい名前だった。
結婚したとき、披露宴はなかった。しかし長男の誕生はちがう。内輪のごくひかえめな祝いでもやるべきだと考えた。正輝は妻の産後の回復や赤子がくわわった生活になれるのを待って、みんなに知らせようと考えていた、彼女は母乳を時間どおりに与えていたからだ。結婚したときから飼っていた豚を殺そうと思った。豚はみごとに肥えていて、祝いの食べ物としてふさわしい。妻は「あなたは、豚を殺すことなんてできるの?」と訊ねた。
正輝は友だちが豚を殺すのを手伝ったことがあるので、どうやるかは、知っているが、だれかに手伝ってもらわなければならないのだ。房子も沖縄で飼っていた豚を殺したことはあるが、今回は夫に任せることにした。彼女には肉をさばく仕事がある。一日がかりだ。豚は屠殺されたあと、切り分けられ、煮られるか、塩漬けにされなければならない。
豚を屠殺するその日は特別な日だった。屠殺を手伝うこと自体は別にたいしたことではないが、大きな豚は肉を長い間貯蔵できず、できるだけ早く消費するために何軒かの家と分けあわなければならなかった。経験のある男なら2人でできる。正輝を手伝ったのは盛一だった。
よく晴れた日曜日を選んで、朝はやくから作業がはじまった。必要ならチオンの手を借りようと考えていた。チオンはカボクロだ。本来カボクロは白人とインジオの混血を指すのだが、土着人のことをこうよぶ場合が多かった。
つまり、教養がなく、質素で、野良に生きる者がカボクロとよばれていたのだ。正輝にとってチオンはまさにカボオク(このようにしか発音できなかった)で、力仕事を手伝わせることができる使用人だった。チオンはまったくの田舎者で、アララクアーラから何キロか奥に入ったマットンという村で生まれた。よりよい仕事を求めて、家族と共に転々とし、タバチンガに着いたのだ。農場の臨時雇人として、日雇や期間雇い人として働いていた。仕事がおわれば、他の仕事をさがすため移動した。