臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(90)

 グァタパラー耕地で覚えたピンガを飲む習慣を正輝はやめることはなかった。「一口のピンガ酒を飲むこと」をカボクロは「mata-bicho」とうのだが、彼もそう呼びはじめ、正輝は完璧に発音できたのだ。
 家ではいつも、「モロン・ドゥンガ(Morrao Dunga)」という名のピンガを飲んだ。レッテルにしわくちゃの小人の顔が描かれた絵があった。いつもの雑貨屋で一番安いからそれを選ぶだけのことで、その質は値段相応だった。もっとも、他に楽しみもない彼にとって、ピンガの質などいっこうにかまわない。正輝はビンの中身が底をつく前に、次のビンを買うようにきちんと管理していた。もう一つ彼が習慣的にするようになったことがある。
 町でのビールの買いやすさが、正輝にビールを飲むという楽しみを加えてくれた。種類はたくさんあるのに、いつも同じ銘柄を選んだ。「アンタアルチカ・ファアシャ・アジュウール」といいながら、アンタルチカのビールを選んだ。レッテルの上のほうに大型メダルの中に二羽のペンギンが描かれ、斜めに青い帯状のすじが入ったビンだ。沖縄人はZをJと発音する。だから日本語の「ぞうり」を正輝は「じょうり」と発音した。「Azul」は「アジュウール」となった。ZがJの長音になった上に最後のLが「ル」になるわけだ。
 そのころは、すでに町の大きなバールには冷凍室があったが、正輝はいつも常温のビールを飲んだ。忠実な犬のように習慣を重んじる男だった。まわりの環境がどうかわろうと、彼は習慣を変えなかった。ビールについていえば、暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうが、天気がよかろうが、いつも同じ銘柄を選び、冷やさないビールを飲んだ。ビールを飲む習慣はピンガを飲むよりずっと金がかかった。もっとも、ビールはたとえ雑談が長引いても、仲間がベロンベロンに酔いつぶれてしまうことにはならなかった。
 当時から、正輝には商売の話題より、居酒屋のテーブルを囲んで世間話をするほうがずっと楽しかった。商売への関心など薄く、商才などゼロに等しかったからだ。アイスクリーム屋の経営はうまくいかなかった。売り上げがやっと材料費を補うていどか、あるいはそれに満たない場合もあったかもしれない。しかし、彼はそのような計算をすることじたいがいやだったのだ。
 実際、家族の生活状況を向上させるための金は少なかった。もっとも、子どもたちは畑仕事をしていたころより環境に恵まれていた。ただ、正輝のようなやり方では、1、2年ほどで商売がいきづまることは目にみえていた。場所が悪かったわけでも、客が少なかったわけでもない。単に店主の経営管理がずさんだったのだ。
「おまえはこの仕事にむいていない」
と、ある日、商売の先輩、元一がはっきりいった。彼は商売にたけていて、すでに、石鹸工場を立ちあげる計画を進めていた。もう三つの商売を手がけていて、妻は後にアララクァーラで人気になる野菜の行商に励んでいた。正輝からメーガーじいさんとよばれている元一は、首都に通ずる街道の向こう側のマシャードス区に土地を借りて農業に従事している遠い親戚を探してはどうかと勧めた。
「正輝にはアイスクリーム屋のような危ない商売より経験のある農作業のほうが向いているかもしれない」元一はつぶやいた。