天皇陛下御在位30周年式典に参加して=上原氏「言葉に代え難い感動」=中南米から唯一、特別招待受けて

感動を振返った上原氏

感動を振返った上原氏

 2月24日、東京都千代田区の国立劇場にて、天皇陛下御在位30年記念式典が挙行された。中南米地域からはブラジル日本移民百周年協会の理事長だった上原幸啓氏(91、沖縄県)が、ただ一人特別に招待されて出席した。上原氏は「とにかく言葉に代え難い感動だった」と話し、御退位前最後となる陛下に拝謁した感激を振返った。

 上原氏は、沖縄県那覇市(旧字小禄村)出身で、戦前の1936年に当時9歳で渡伯した。サンパウロ大学名誉教授として知られ、日伯交流年として両国で盛大に祝われた08年のブラジル日本移民百周年当時、協会理事長を務めた。
 「僕みたいな人間を招待して下さるなんて・・本当に感謝でいっぱいです」。時折言葉を詰まらせながら取材に応じた上原氏は、招待状のコピーを見せてくれた。そこには字引を引いてふり仮名が書き込まれており、いかに丁重に扱われているかが分かる。
 式典では、陛下が涙声で国民に感謝を述べられる場面もあり、上原氏は「陛下のお言葉に胸がドキドキするのを感じた。式典後もお言葉を何度も拾い読みしているが、本当に心から尊敬を申し上げるお方だ」と話した。
 特に、印象深く残ってのが、式典で歌い上げられた「歌声の響」。これは、皇太子時代に沖縄のハンセン病療養所をご訪問された際、入居者がお見送りで沖縄民謡「だんじゅかりゆし」を合唱し、その思い出を陛下が琉歌で詠み、皇后陛下が作曲されたものだ。
 上原氏は「僕は小禄の出身。現在の那覇国際空港は昔は小禄飛行場で、1メートルの間に3、4つの艦砲射撃が落ちた。防空壕の入口に爆弾が落ちて、父親も即死している。だから、戦争は嫌いなんだ。でも、両陛下は慰霊のために11回も沖縄を訪問して下さり、平和国家としての日本の象徴を体現されてこられた」と拝んだ。
 「この平成の30年間には、もちろん様々な自然災害はあったが、これは防ぎようのないこと。それを除けば、戦争もない平和な素晴らしい時代だった」と平成の幕引きを惜しんだ。
 また、その数日後には、宮中茶会にも出席。「二重橋を渡るのは初めてだった。ご接見の際には、たくさんの招待客が前にいたが、秋篠宮殿下が私に気づいて手を振って下さった。そうしたら、前にいた人たちが開けてくれて、少しばかりお話することが出来ました」と笑顔を見せた。
 上原氏は、移民百周年を振返りつつ、「英国BBCやアルジャジーラなど世界的メディアから取材を受けた。取材後、録音を切った後に『移民国家の歴史のなかで、ある少数民族を顕彰するのは異例だ。なぜ僅か0・7%しかいない日本移民の移住百周年を、ブラジルがこぞって後押ししたのか』と尋ねられた」という。
 「日本移民は馬鹿にされようが騙されようが抵抗せず、正直さを貫いて一生懸命に働いた。そして、子供の教育に力を入れ、サンパウロ総合大学は日系人が14%もいる。こうして百年を経て日本人は認められた。その根底にあるのは修身の力だろう」と見ている。
 最後に、新天皇にご即位される皇太子徳仁親王殿下について、「移民百周年の時に殿下に付いて各地を訪問しましたが、とにかくどこでも大変ご立派なお振舞いでいらっしゃり、移民のことを大変気にかけてくださる。若い時には英国にもご留学され、国際事情にも通じていらっしゃる。今後も、国際親善に大いにご貢献されるのではないでしょうか」と新たな御代に期待を寄せた。